開演ブザーは永遠に（１） (ページ50)

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このあたりにひと気はないとスミレちゃんは言っていた。私と一緒では、人のいる場所に辿りつくまで時間がかかる。
　レオにしても簡単に誘拐をやってのける組織だ。武器の一つや二つ所持していてもおかしくはない。言い争っている今この瞬間にも、棗君たちが無事である保証などどこにもないのだ。一刻を争う事態、手段は多いに越したことはない。助かる可能性を上げるために、互いにやれることをやるしかない。
　猫のようにつりあがったスミレちゃんの目をまっすぐに見る。自分の身体能力を一番把握してるのは本人だ。だからスミレちゃんもわかっている。一人のほうがずっと自由に動けると、私を置いていったほうがいいことを。

「……ああ、もう……！絶対、絶対捕まんじゃないわよ……！」

　わずかな沈黙と少しの逡巡のあと、スミレちゃんは踵を返して駆けていく。ぐんぐん離される距離が心強くて、安心して倉庫へ向きなおる。
　私が結界を揺らせるかはわからない。中でアリスを使っただけであれだけ消耗したのだから、土台無理な話ではある。けれど、蜜柑ちゃんの突入がレオたちの隙を生むかもしれない。
　倉庫に向けて手を翳し、目標を結界そのものに定める。結界が張られる前へ、過去へ。時計の針をねじ曲げる。

「……っ、ぅ、う……！」

　アリスを使った瞬間、体力が、気力が、湯水のように流れていく。あんな大きな、それも結界というアリスの塊に力を使った経験なんてない。
　ふ、と視界の端が滲み、頭が傾いて、意識が飛びかけていたと知る。ここで気を失えば次はどこで目を覚ますのかわからない。唇を噛みしめ、伸ばした手を握りしめて爪を食い込ませる。痛みだけが頼りだった。
　私のアリスに反発して結界が強くなる。それをまた遡る。力のぶつけ合いだ。力量は向こうのほうが遥かに勝っているのに、完全に弾かれないのは、やはり蜜柑ちゃんが乱入したからか。
　ぼたぼたと汗が吹き出た。口の中で血の味が広がる。肉に爪が食い込んで、嫌な感触がする。

「ぐ、ぅ……っぁあ゛……！」

　帰りたい。戻りたい。――みんなで。

　不意に、空間がブレた。瞬間移動特有のものだ。汗に濡れた額を風が攫って、私の鼻に香りを届ける。磯の匂いを含まないそれは嗅ぎ慣れた学園の匂いであり、日頃、私たちの担任が好んでつける香水の匂いだった。

「――よく、頑張ったね」

　通信機越しに聞いた声が直接耳をくすぐる。

　よかった、きてくれた。

　緊張の糸がぷつりと途切れ、私の頭に手が置かれたのを感じながら視界が暗転した。