幾夜寝覚めね

十九 ページ20

昨夜、碧棺様が来ることはなかった。
分かっていたはずなのに、こんなにも打ちのめされている。
少しでも心惹かれ、信じてみようとした私が馬鹿だった。
野暮な客を送り出して、私はその日、腹が痛いと言って見世を休んだ。

「A、大丈夫か？」

昼過ぎ、一郎さんが見舞いに来てくれた。

「大丈夫でありんす。少しばかり気疲れしてしまいんした」

布団の脇に白湯を置いてくれる。
あまりに心配そうにこちらを見るものだから、なんだか罪悪感を感じてしまう。

「子でも倉毒でもござりんせんから」

そんなに心配しなくても、と口に出す前に、私は一郎さんの腕の中に抱かれていた。

「病気じゃないことぐらい知ってる。……あの男の事だろ」

一郎さんたちの険悪だった空気を思い出して、私はあわてて取り繕う。

「たいしたことではありんせん」
「嘘だ」

語気とともに、抱きしめられている腕の力も強まる。
自分よりもはるかに大きなその体躯に思わずすがってしまう。

「辛いならそう言ってくれ。嘘なんていらない」
「あちきは…」

悲しい、悔しい、酷い、裏切られた、様々な言葉が複雑に絡み合って、
何と表現したらいいのかわからず、沈黙が流れる。

「お待ちください、困ります‼」

部屋の外がやけに騒がしい。どたどたと大きな足音がこちらへ向かってくるようだ。
一郎さんもそれに気が付いて、ふすまの向こうに気を向ける。
しばらくすると、ものすごい勢いでふすまが開いた。

「お前、何しに来やがった！」
「俺様はそこのAに会いに来た。てめぇに用はねぇ」

一郎さんは私をかばうように進路をふさいだ。

「退け」
「退かねぇ」

ピリピリとした空気感に、追いかけてきた下男や女将さんたち、
そして私も口を挟めない。

何のつもりだと怒鳴りつけようと思ったが、彼の顔が傷だらけで、
事情を聞こうと思いなおす。

「あちきに何の用でありんすか」
「昨日の事を説明したい」

その後、彼の口から語られたのは、耳をふさぎたくなるほどのものだった。

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