【歌い手】この世界の片隅に【短編集】 (ページ3)

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52ヘルツのクジラ

それは世界にたった一匹のクジラだ

他のクジラに比べ鳴き声が高く、そのためその声は誰にも届かない―――孤独の存在

「どれだけ声を出しても誰にも、どこにも届かない。それは私にとってとても都合がいいの」

「誰にも聞かれたくないことなの？」

だから放課後に、プールまできて、濡れまでして水中で？

「聞かれたくないけど、聞いてほしい。届いてほしいけど、届いてほしくない。」

矛盾してるでしょ？そういってAさんは喉を震わせた

確かに矛盾してる。

矛盾してるけど僕にはなんとなく理解できた

「んふふ。まふくんならわかってくれると思った。」

Aさんはそういうと立ち上がり、水面を背にプールサイドに立った

夕日が沈み、所謂マジックアワーと呼ばれる時間帯

そのせいか、こちらを見てほほ笑むAさんの笑顔が、いつもより綺麗に見えた

見惚れる僕にもう一度ほほ笑むと、Aさんはゆっくりと後ろへ倒れていく

まるで屋上から飛び降りたような姿に、一瞬肝が冷える

水しぶきが立つ頃には、僕はプールサイドから身を乗り出して、浮かんでくるAさんを待っていた

何を考えたのだろうか

何を思っての行動だったのだろうか

後ろ向きに倒れていくなんて、いくら水があるといっても、万が一打ちどころが悪かったらどうするつもりなのだろうか

ブクブクと浮かんでくる気泡をもどかしく思いながら彼女を待つ

長いような短い時間が経った時、ようやく水面から顔を出したAさん

様子を見るに、万が一が起こった様子はなく、ひとまず胸をなでおろした

「だ、大丈夫？足、滑ったの？」

そういいながらAさんへ腕を伸ばす

でも、彼女は僕を手をつかむことなく、ただ僕を見つめる

その顔にいつもの笑顔はなく、悲しいそうな苦しそうな表情をしていた

しばらく見つめ合った後、Aさんがゆっくりと口を開いた

「まふくん――――――――屋上から飛び降りたらダメだよ」