その一杯に、心、揺れて (ページ13)

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「おつかれ」
ru「ああ、サンキュ」

練習を終えて向かってくる彼にボトルを手渡すのは、いつも私の役目だった。

私にとって、この瞬間はとても大事で、その一方でとても恐ろしいものだった。

別に何を話すわけでもないけれど、その時一瞬触れる手から、彼の葛藤が、痛みが、伝わって来るような気がしたから。
そして、その気持ちをわかっていて何も出来ない私の狡さも、伝わってしまうような気がしたから。

誰もが秘めた思いを隠したままの少し歪んだ日常が、そこに凝縮されているみたいだった。

恐れていた事が起きたのは、2年の冬の大会だった。

その日、ラウールはたまたま調子が悪くて、いつもなら引っかからないようなレベルの高さで既に2回失敗をしていた。
次失敗すれば、そこで終わり。
そして、さらに悪いことに、同期のうちの一人が先にこの高さで成功していた。

『お前、もしかしてあいつに勝っちゃうんじゃね？』

同期たちはここぞとばかりに囃し立てる。
普段は実力差もあってか、あまり表立ってラウールを攻撃することはなかった彼らだが、今日はその反動のように口々にラウールに嫌味を向けていた。

彼にその声が聞こえていたのかはわからない。
でも、負けず嫌いが過ぎる彼は、そこで勝負に出た。
残された1回をパスし、次で同期よりも高い記録を出せる可能性に賭けたのだ。

そして、彼はその勝負に負けた。

「…おつかれ」
ru「…」

彼は何も言わずに引ったくるようにボトルを取った。
そんなことは初めてだった。

その大会を機に、ラウールはますます孤立を深めていった。
調子も信じられないほどあっという間に落ちた。
あれ以来、あの華麗なジャンプを見ることは叶っていない。

しかし、それでも彼はバーに向かい続けた。
むしろ、今までよりも一層ストイックに。
そんな彼に私が出来ることといえば、やっぱりドリンクのボトルを渡すことくらいだった。

何も出来ないダメな私だけれど、せめてそれだけは。
せめて私だけは、何があっても、どんなに怖くても、あの手が触れる一瞬を捨ててはいけない。
何故だかそんな風に思った。