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≪Aちゃん、ちょっと、大丈夫?≫
「……渡辺先輩、すみません。私明日の会議遅れるかもしれません」
≪え、なんで?≫
「近いうちに引っ越しするので、その手続きにちょっと時間が……」
≪えっ、引っ越し……?!≫
以前は大した泣き声ではなかったので辛うじて耐えられたが、これは耐えられない。次いつあの泣き声が飛んで来るのか想像するだけでも、不安で夜を越せる気がしない。最悪一睡もせずに朝日を見る羽目になる。それは嫌だ。絶対に。
何度も言うが、私には直談判しに行く程の度胸はない。よって私が行動しなければ、二度の今日までの平穏は戻って来ないわけだ。
この引っ越しだって、なにも今回が初めてではない。今までにも隣から聞こえてくる赤ん坊の泣き声や子どもの泣き声、はしゃぐ声、叫ぶ声で引っ越してきたし、近所に保育園の設立が決まったときは滞在期間一週間だろうが引っ越した。
近所に保育園?たまったもんじゃない。
「そういうことなので、おやすみなさい。先輩」
≪え、あ、うん。おやすみ。Aちゃん≫
明日は十時くらいまで寝られると思ったが、そういうわけにはいかなくなった。今日のことを切っ掛けに、朝から物件探しに勤しまなければならなくなった。私の快適な眠りの為にも、早急に。
ソファーの周りでうろちょろしながらそんなことを考えている間にも、子どもの泣き声は止まない。なんだか次第に頭痛までしてきて、眉間を押さえたまま、その場に蹲る。早く、早く、早く。早く終わってよ、お願い……お願い。
―――『せんせー』
きゃはは、と耳の奥で反響する、人を小馬鹿にしたような笑い声。重たい瞼を押し開けると、そこは教室だった。皆が好き勝手に話して、暴れて、物を投げ合っている教室。
そんな止まない喧騒の中で、一人の生徒が机に足を乗せたまま手を挙げた。確かに、こちらを見据えて。私は震える手の平で、その女子生徒を指した。体が、勝手に動いた。
―――『せんせーって、なんで教師やってんの?』
私にはその質問の答えが、分からなかった。答えられなかった。え、と掠れた声しか出なくて、持っていた出席簿が落ちたことにすら、気が回らない。
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