ウサギとカメ、と (ページ7)

今日:1 hit、昨日:3 hit、合計:103,607 hit

6 ページ7

.

「家ここ」

アパートの前で立ち止まると松村君は、はは！と笑い声をあげた。

「まじで言ってる？俺もここなのよ」

彼はそう言いながら鍵を出してエントランスを開けると、小首を傾げて見せた。

「何階？」
「7階」
「私706」
「両端だわ、俺701」
「隣じゃなくて良かった」

ただでさえ赤の他人に少なからず自分の生活音を聞かれていると思うと居た堪れないのに、それが知り合いにでもなった暁には寝たきりで何の音も立てず暮らすしかない。

「俺も。変な汗かいちゃった」

かいちゃった、なんて可愛らしい日本語も使うんだ。
彼の第一印象からは予想もつかない言葉に少し嬉しくなった。

そのままエレベーターに乗り込み、7の数字を光らせる。

……。

エレベーターという空間に閉じ込められただけで、さっきまで何と無しに続いていた会話が途切れた。
ここまで歩いた時間はあんなにも一瞬だったのに、この時間は異様に長い。

7階です、と無機質な音声と共に外の空気を吸う。
左右に広がる廊下。松村君は右に、私は左に。

「じゃ、ここで」

彼は何も無い地面を見つめてぺこっと頭を下げた。

「…また」

もう一度話したい、そんなこと素直に言えないから「また」の2文字に思いを託した。
今度は目を合わせて左右非対称に微笑んだ彼は、きっとこの意図を汲み取ったのだろう。

「また」

お互い背を向けて部屋へと歩いた。

.