【春・波多野】 花見 ページ22
頬を撫でる心地よい風が満ちている。
見上げれば、ひらひらと舞い落ちる桜の花びら。
(桜？まだ咲いていたのか。もう大方、散ってしまったと思っていたが。)
波多野は春風に吹かれて舞い散る小さな花弁をそっと空中で掴んだ。
東京の春を彩る桜。
その儚さと美しさより、古来から日本人が愛して止まない花木だ。
先週の大風でほとんどの桜は散ってしまった筈なのに。
(いったい何処から？)
花弁の風に乗って流れて来る方角を探して歩いてみれば、着いたのは大東亜文化協會の裏庭。
大小様々な種類の植物が植えられており、季節ごとに装いを変える一種の箱庭ともいえる。
その空間の奥。
世間から忘れ去られたように、その桜は立っていた。
樹齢100年以上はあろうか、大人数人でやっと囲えるほどの立派な幹回りの桜だ。
枝を四方に伸ばし、溢れんばかりの生命力で凛然と咲き誇っている。
おそらく、まだ咲いているのは大東亜文化協會の建物の影になって開花が遅れていた為だろう。
幸運にも、先週の嵐は花が咲く前で助かったらしい。
(綺麗だな・・・。)
波多野はその優美な姿に、暫しぼんやりと眺めた。
ふと、桜の枝の間を人が動いたような気がした。
(桜の、精・・・？いや、あれは・・・。)
そこまで考えて、波多野は我ながら突拍子もない考えだと否定した。
この時代に精霊だとか、神だとか非科学的ものを信じる事自体、馬鹿げている。
幹元には靴が置いてある。
自分よりも一回り小さい靴。
機関員の中でこの大きさの靴を履いている人物は一人しか思い浮かばない。
もう一度、樹を見上げて目を凝らしてみれば。
「・・・何やってんだよ、秋山。」
波多野は呆れた声を出した。
「あ！波多野ー！！」
秋山は太い枝に腰かけて波多野に向かって手を振った。
波多野は一瞬でも、彼女を桜の精だと思った自分を酷く恥じて殴りたくなった。
「何やってんだよ。」
波多野はもう一度、問いかけた。
「何って、見て分からない？お花見。」
「木に登って花見する奴がいるかよ。俺、木に登って花見する女初めて見たぜ。」
「大丈夫だよ、スラックス履いてるし。この木、案外登りやすいよ。」
そう言って、秋山は裸足の脚をぶらぶらと揺らした。
「そういう問題じゃねえよ。」
(コイツは女って以前にガキかよ・・・。)
波多野は頭を抱えたい気持ちになった。
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作者名：有馬 | 作成日時：2017年1月7日 22時
