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「Aさん!」
控え室へと続く廊下で呼び止められた。
振り返ると、井ノ原さんがいつも通りの笑顔で手を振っていた。
「あっ、お疲れ様です」
「おつかれさま〜!
いやー、さっきは急に呼んじゃってごめんね」
「とんでもないです。井ノ原さんが気づいてくださったおかげで、直しに行くことができました。
ありがとうございます」
「えへ。なんか俺褒められちゃってる?」
井ノ原さんは自分を指さして、ん?って顔をする。
彼は冗談ぽく言っているけれど、私は真剣だった。
「本当にとっても助かりました。
テレビの現場はあまり経験がなく、しかも生放送だと、どう動いて良いのか分からなくて困っていました。
"きえもの"とはいえ、見た目も味も妥協したくないんです。口に運ばれるその瞬間までは私の責任下にありますので」
私たちが扱う飲食物は、この世界では"きえもの"と呼ばれている。
言葉の通り、消えてなくなるからきえもの。
画面越しには、味も匂いも温度も伝わらないから、
しばしば見た目重視で、油を塗って照りを出すなどして繕うこともあるらしい。
しかし、私の師匠がそれをしなかったように、私もそれをしたくない。
「……あ、急にごめんなさい。私なんかが出しゃばってベラベラと。
お忙しいところお時間取らせてしまい、申し訳ありません」
つい熱が入って喋りすぎたと反省する。
「いやいや!呼び止めたの俺だよ、気にしないで」
彼は嫌な顔ひとつせず、むしろ、ずっと笑顔だった。
「あっ、あの、そういえば……」
「ん?」
「私、あのスポンサー企業の関係者の方ではなくて……もし、思い違いされていたらと思って……」
「うん!知ってるよぉ!」
「ああ、そうなんですね……!なんか、すみません」
だとしたら、また謎が深まる。
というか振り出しにもどった感じだ。
なぜ私なんかに声をかけてくれるのか……
井ノ原さんの意図は?メリットは?
なぜだ……
「井ノ原さん」
横からスーツ姿の男性が声をかけてきた。
恐らく、彼のマネージャーさんだろう。
「ごめんねぇ。呼ばれちゃった」
両手を顔の前で合わせて、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「いえ、今日はありがとうございました。お疲れ様です」
「こちらこそ!またね〜」
そう言って私に手を振って、マネージャーの彼と一緒に廊下の奥へと消えていった。
またね。
社交辞令とわかるその言葉に、なぜか私の胸の内はざわついていた。
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ヨ-リン(プロフ) - 櫂さん» 櫂さん、こちらもお楽しみいただけて幸いです。本当にありがとうございます。いつでも遊びにきてください! (2022年8月12日 7時) (レス) id: 3d151d95ac (このIDを非表示/違反報告)
櫂 - こちらの作品も読ませていただきました……本当に素敵な作品です。幸せな空間がすぐ想像出来るので、また読みにきたいと思います。完結までお疲れ様でした! (2022年8月6日 23時) (レス) id: 4f295eac92 (このIDを非表示/違反報告)
ヨ-リン(プロフ) - ひささん» ひささん、ありがとうございます!ぜひともよろしくお願いしますm(_ _)m (2021年10月19日 0時) (レス) id: 3d151d95ac (このIDを非表示/違反報告)
ひさ(プロフ) - 新しいお話、楽しみにしてます! (2021年10月18日 5時) (レス) @page44 id: d7d462c614 (このIDを非表示/違反報告)
ヨ-リン(プロフ) - ひささん» ひささん、いつもありがとうございます。そうですよね……やはり寂しさが募りますよね。私の物語がそのようにお役に立てていること、大変恐縮です……!本当に嬉しいです。完結までお付き合い頂けると幸いです。 (2021年10月5日 1時) (レス) id: 3d151d95ac (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:ヨーリン | 作成日時:2021年9月19日 1時