世界が僕を裏切るなら ページ8
イロニー家。
それが僕の生家であり、この先背負う名前であった。
品行方正、頭脳明晰なお坊ちゃま。僕の評価は恐らくそんなものだろう。
寄宿学校を卒業して屋敷に戻ったいま、改めていずれ巡ってくるであろう責任が重く感じて思わず溜息をつく。
仕方ない。それが嫡子の運命であり、そのために、僕はここまでやってきたのだから。
廊下を歩いていると、部屋の奥でわっと声が上がるのを聞く。母が出産を控えていたというからきっとそのことだろう。扉に近づくと興奮した父親の声が聞こえてきた。
「そうか！！！男か！！！ならばこのイロニー家も安泰だな！！！！」
その一言で、扉にかけた手が止まる。
「折角我々の息子が出来たのに、愛人の子に継がせてたまるか」
視界が、黒く染まっていく。思考がぐるぐると廻っては泥に沈むような感覚。衝動のまま、気付けば屋敷を飛び出し地面を蹴っていた。
どうして。今までの、僕の努力は？守り続けた矜持は？自分は、何故ここにいる？
この先どこへ向かえばいいのだろうか。そう考えていると、大きな衝撃と共に目の前が暗転していった。
＊ ＊ ＊
目が覚めるとそこは薄暗い部屋。酒場のような木造の室内だが、それには不自然なほど上質そうな椅子がいくつか置いてある。自分が今寝かされているベッドもかなり質が良い。そのアンバランスさに違和感を覚えつつ辺りを見回していると、カツカツと靴音を鳴らして一人の男が入ってくる。
ゆらゆらと揺れる光に照らされたその男の顔を見て、息を飲んだ。
「あんたは…」
「いやはや、まさかここでイロニー家の坊ちゃんと会うとはな」
「……それは、こっちのセリフです。グルッペン侯爵」
国を動かす議会の中でも、ひと際発言力を持つのが彼の父である公爵であった。勿論、息子の彼のことも当然知っていたし社交場でも数多の女性に良い寄られては陰で溜息をつく姿を見ていた。それくらい、彼はこの国において大きな存在感を放っているのだ。そんな人間が、何故。
「助けてやったのに随分ふてぶてしい顔だな」
「……地顔です」
少し眉を上げて返せば愉快そうにグルッペンは口の端を吊り上げた。
「まあいい。ついて来い」
そう促されて渋々彼の後を追う。
「あの、グルッペン侯爵、」
「グルッペンでいい」
「……グルッペンさん」
「なんだ」
「ここは…何なんです」
「後で分かる」
邪悪な笑みを浮かべた彼は、勢いよくつきあたりの大きなドアを開け放った。
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