今宵紫煙の夢にて溺る ページ13
一目見た瞬間に、あ、この人だ。と感じた。熱なんて感じないと思っていた心、…心臓部分から全身に血が湧き立って、身体が熱くなる。雷が降り注いだようなあの衝撃を私は忘れられない。
抗争により怪我をした彼が地面を這い蹲るその姿。一瞬しか見えなかったが懐に隠した拳銃の造りはα国のもので違いない。しかし彼の身に纏う軍服は私と同じβ国のもの。それだけで事情を察するには簡単で。
「ねえ、取り引きしない？」と息も絶え絶えの男に声をかけたのだ。
私もまたα国のスパイだった。彼よりも何年もの前にこの国に紛れ、それなりに軍部で地位を築き上げるまでには馴染んでいたと思う。スパイ同士での接触はご法度。役に立たなければその命に価値はない。そんな教育を受けてきたはずなのに、私は彼の手を取り、彼を生かした。
…彼の命を私が握っている、そう考えたら報われないこの思いが少しだけ、救われる気がした。
.
朝焼けは、黒と赤と青が混ざった色だ。青空をベースに暗闇が薄れて太陽が現れる。まるで彼で彼の色だな、と感慨深く空を眺める。冬の空は夏に比べて低いはずなのに私がどれだけ高い場所で手を伸ばそうとしても決して届かないのだ。
「あーあ。報われない」
重たい金属製のライターで手遊びしながら、煙草に火をつける。吸って吸って、吐いて。朝焼けの空に登る紫煙はゆっくりと空に溶け込んでいった。
ギィと扉の開く音がしてそちらに視線だけ寄越すと私の頭の中を支配していた彼がやって来た。珍しいこともあるもんだと、口角だけを上げる。
彼から始まる一日も、また一興だ。
「おはよう。昨日あれだけ夜更かししたのに朝は早いんだね。体は大丈夫？」
「それ普通、男の台詞でしょ」
家で飼われる犬のように、彼が擦り寄ってきて私の胸ポケットに入った煙草を一本取る。そのまま私の煙草と彼の煙草を合わせて、火を貰う。視線は互いに向けて。
負けず嫌いなところは本当にそっくりなのだ。私も、彼も。
「……それで、成果はあった？」
「ないっすよ。残念ながら、あのクソ先輩から連絡はなし。ステイですね」
「そっか」
「あんたの方はどうなんすか」
「見ていいよ」
くしゃりと丸めていた一枚の紙切れを渡す。それは私の家族からの手紙…を偽った自国からの指令書。私達にしか分からない暗号を用いて書かれたものに、浮かび上がる内容は「β国総統の暗殺」。和やかな内容からは考えられない冷たい内容であった。
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