破れた傘にくちづけ-クジラとペンギン-（緑紫）

‐序幕‐ ページ1

‐序幕‐






雨の日は嫌いだ。



重たそうな灰色の雲も、湿気を帯びた空気も、濡れた地面の感触も

空から落ちてくる水から、生臭いいのちみたいなにおいがしてきて

雨の気配がすると、濡れてもいないのに頭からつま先まで凍えて餓えている体を錯覚する。




嫌な思い出はいつも雨とセットになっていて、だから俺は雨の日だというだけでパブロフの犬みたいに条件反射で機嫌が悪くなる。


母親は多分雨女だった。
母親らしいことなんか何一つしないくせに気まぐれに俺を外に連れまわすときはいつも雨で、俺の外出着は緑色のカッパとカエル柄の長靴がいつものスタイル。

俺を置き去りにしていった日ですら、ひどい雨の日やった。




母親がいなくなったとき、俺は3歳で。

小さかったから、正直その時のことはよく覚えていない。
お気に入りの緑のカッパとカエルの長靴を履かされて、母親に手を引かれて出かけた先で初めて海を見た。


ひどい雨のせいで海は荒れていて上も下もなくて
ただ、空中にある水は空から落ちてんのか海から上がってんのかどっちやろか、と思った事だけは覚えている。



(ぼくたちの、ぼくの、いるところはどこやろう)

(みずのなか、やろうか)


いつの間にか繋いでいたはずの手は離れてオカンは見えなくなっていて、一人ぼっちで心細くて。
それに加えて、濡れた体は冷たくて、死ぬほど腹が減って世界との境目が曖昧になった。


「雨の日に一人で外に出たらあかん、かどわかされるで！」とオカンが吐くお決まりの脅し文句だけが頭の中でこだまする。

“かどわかされる”って、なんなんやろ。

鬼みたいな顔して言うたからなんかこわい事なんかもしれんけど、俺にはわからんかった。


そのうち空は暗くなって、雨がしのげる明るいところを求めて、屋根のあるバス停まで必死で歩いて


泣きながらベンチに座ったら、お気に入りの緑色のカッパとカエルの長靴が冷たくて重たくて、捨ててしまいたくなった。


おなかすいた、さむい、くらい、さみしい






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