◆One ページ3
思えば違和感はなくはなかった。いつもよりよく笑って、いつもより色んな場所へ行って、いつもより何もかもを繊細に感じ取ろうとしていた。まるでこれが最後みたいに、思い出を鮮明に刻もうとしているように見えなくはなかった。それでも楽しさに溺れた時の脳は考える力をとうに失っていて、今までで一番最高だったとしか形容しようがなかった。これ以上の思い出はこの先多くはないと思っていたはずなのに、本当にこれ以上の思い出はなくなってしまった。
こうなってしまったのも全て帰り際のあの人の発言だった。
いつもの駅前でいつものようにまた今度と言うと思っていたのにあの人から出てきた言葉は『さようなら』で、あの人はまだ会えるうちは必ずさようならなんて言葉じゃなくてまたねを使う人だったのだから、それはすなわち私とあの人はもう二度と会えないということを示唆していた。来てほしくなかったいつかが来てしまった。彼女の真剣で冷たい瞳がその事実を更に教えるようで、もう逃げてしまいたくなった。だけどここで逃げたら私はあの人のことで後悔する、あの人の思う私が最悪に終わってしまう。それが嫌だったから、せめてもう少しあの人の中の私が良く在るように改札を通った。
「……どうして、さようならなんて」
「だってもう長くない私が居たら、加賀美くんにとって邪魔でしょ」
「加賀美くんならもっと良い人が居るよ、私を忘れて生きてよ」
蓋を開けてみれば、それはどうしようもなくあの人のエゴだった。私にとって貴女以上の人なんて居ない、貴女を忘れて生きていけるわけがない、多分それは貴女も知っているはずなのに。寧ろ知ってて言っているのだとしたら、本当に貴女は酷い女だと罵りたくなる。貴女以外の人を好きになれる気がしないほど貴女に心酔していたのに急に忘れて別の人と生きろだなんて酷過ぎる。何か言ってやろうと思考を巡らしていたら、電車のチャイムが鳴る。帰るまでに何度も聞いたそれを今は聞きたくなかった。
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作者名:翠霞 | 作者ホームページ:https://twitter.com/Sui_Ka_zr
作成日時:2021年12月2日 21時