43. 無奏 ページ44
8月18日。私はAにオーケストラ鑑賞へ誘われ、久々の休暇を取った。
最近は部屋に篭るばかりだったから外の空気が新鮮だ。
「おはよ!待った?」
「全然。行こうか」
「…あっ、うん!」
そういえば2人で出掛けるのは初めてだな、と思いながらホールへ向かった。
席に座っていても分かる観客の頭数。
指揮者が両手を挙げ、木管、金管、弦、膜鳴楽器が息をし始める。チケットが高いだけあって演奏は良質だ。
「……」
ダメだ。時間を忘れて黄昏なければならないのに、どうやら今の私に集中力はないらしい。
ふと左隣のAに目をやると_____彼女は泣いていた。
肌が一際白いせいで淡く闇に浮かぶ横顔に一筋の涙が伝う。
私は動揺して肘掛けに置いた指先がピクリと動いたが、それだけだった。
彼女の泣き顔を見るのは初めてじゃない。寧ろ何度も見てきた。だが今目の前で涙を流しているAは全く別人のように思えて、目が離せない。
すると、Aが私の視線に気づいた。
彼女はハッとしてバックからハンカチを取り出し_____なぜかそれを
「…泣いているのは、君だろう」
お互い状況が飲み込めない。Aは数秒経って漸く涙が自分の服を濡らしていることに気づき、「ごめん」と慌てて涙を吹いた。
私はそれを横目に、肘掛けから動かなかった手をゆるく握り締めた。
そのまま時間が流れ、演奏は終盤に差し掛かる。
もう一度隣の席に目をやると、Aは泣いていた面影を見せず、満足気な顔をしていた。
正直、私には良さがイマイチだったけれど。
普段どんな恐怖にも打ち勝ってしまうような彼女が、たった一つの演奏で涙を流すのならば。
パチ
ああ、いい曲だなあと パチ
思っ
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ
「…え?」
気づけば、席を立っていた。
「傑!」
ホールの広場に夏油はいた。終盤とはいえ何も言わずに外へ出たことに驚いた八重は、息を切らして男に駆け寄る。
「ごめん、トイレ行ってた。一応耳打ちしたんだけど」
「本当に?」
「え?」
「あ、いや…お腹痛かった?」
「ちょっとね。」
風も音もない夜。虫の集う蛍光灯が2人を闇へ誘っている。
だが、その影はすでに溶け込んでいた。
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tomishiro(プロフ) - 佝僂さん» はわー!?とっても嬉しいです!おかげで頑張れそうです!ありがとうございます! (2022年7月13日 11時) (レス) id: 5a85062d9e (このIDを非表示/違反報告)
佝僂(プロフ) - めっちゃ面白いです!!!更新頑張ってください!! (2022年7月13日 10時) (レス) @page12 id: 1c770a8388 (このIDを非表示/違反報告)
tomishiro(プロフ) - ぜひ評価の方もよろしくお願い致します! (2022年7月13日 9時) (レス) id: 5a85062d9e (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:とみしろ | 作成日時:2022年7月7日 20時