花の聲 ニ

六十 ページ13

慧.



後から聞いたのだけど、兄さまは仏間で読経を聞いてたらしい。
でも突如予感めいたものに駆られ、そっとぼくの部屋に来たのだそうだ。



以来、ぼくは少しずつ元気になっていった。元気になれば兄さまが喜ぶ。
それだけのために、苦い薬も我慢した。





そんな折、雄也と出逢う。


ある日祖父(じい)さまが、何を思ったか連れてきたという。

知らない人が怖くて兄さまの後ろに隠れてしまったぼくに、好奇の目を向けてこなかった初めての人。


雄也が仕事の合間に聞かせてくれる話はどれも面白く、勉強にもなった。
奉公先を転々としていた雄也は、他の人より良く気が付いて、兄さまもいつしかぼくの側に彼が居ても容認していた。


それまで兄さましか受け入れてなかったぼくの世界に、するりと入ってきた雄也。
でも決して恐しくなく、ましてや不快でもなく、自然に受け入れられるものだった。

優しくあやす手。
優しい眼差し。

ぼくはいつしか望むようになっていた。

この人の側にいたい…と。



子供と思われたくなくて、わざと『おれ』と言ってみたり、やんちゃなことをしてみたり。

(それが正に子供の証拠だったな…)

うわぁ…思い出すんじゃなかった。
その上、余りにも地味すぎる主張じゃないか。


でも笑えたんだ。

雄也のこと考えるだけで。
雄也の気を引こうと画策してる自分に。


可笑しくてそして、何故だか判らないけど泣けてきたの。



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兄さまの婚姻の夜。


足音を忍ばせ部屋の側まで行った。


明らかに違う障子向こうの空気。
時折闇の中へ溶けるように聞こえる、光の声。絹擦れの音。


お行儀が悪いのは百も承知だった。

ごめんなさい、兄さま。

でもそうしないと、ぼくは兄さまを解放してあげられない。
ひかると夫婦になることの意味を、心にちゃんと刻み付けなきゃいけないの。


ごめんなさい、ひかる。
ずっと兄さまを独り占めしていて。




二人はぼくのことをとても好いてくれる。
だからと言って、いつまでも甘えてはいられないのだということを。

とうに知っていたんだ。本当は。


子供のままでは居られない。


兄さまへの独占欲は、今夜限りで断ち切らなきゃね。




甘く切ない冬の夜。
足音を立てないよう慎重に、二人の部屋を後にする。


冷えた廊下を進むごと、ぼくはぼくの鎖を一つ。


手離せたように思えた。

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