花の聲 ニ

七十七 ページ30

雄也.


とっぷり更けていたはずの夜は、気が付けば明るくなり初めている。

診察を済ませてもずっと抱き締めていた慧さんの身体から、くたりと力が抜けて行く。さっき光先生が飲ませてくれた、気鎮めの薬湯が効いてきたかな…。

「眠った…？」

覗き込む光先生に、小さく頷く。

「寝かせられる？」

寝台に腰掛けていた身をずらし、慎重に横たえていっても、目を覚ます気配はない。
布団を掛けてやった光先生もやっと、詰めていただろう息を吐いている。

「どちらも無事で良かった…」
「はい…」

はぁっ…ともう一度吐いたそれに俺も便乗した。
慧さんは綺麗なままだ。間に合ったこと…そこだけは、自分で自分を褒めたくなった。

「お前もだよ、雄也」
「ぇ？」
「ほらお見せ。…お前に何かあったら、この子が泣くだろ」
「…」

いや、絶対滲(し)みるでしょ、消毒液(それ)。


「向こう…静かですね」

主に慧さんから貰った引っ掻き傷を手当してくれる彼に、呟くともなく溢す。耳を澄ますような仕草のあと、軽く肩が竦められた。

「ご隠居様の怒りようを見たろう？」

今頃相応に処分されてるよ。

そう言い放つ彼の横顔も、見たことがないほど冷たい。
ああ、怒っているのだ。そう思うと同時にまた着火される、俺の怒り。

慧さんが眠ったことで、抑えていたものがまた沸き上がる。すぐにでも八つ裂きにしてやりたい衝動を、拳を握り締めることで保った。でなければすぐにでも、奴らの所へ行ってしまいそうだ。

「こら怪我を増やすな。…俺も心情的には勿論賛成だ。でもね、お前さんを犯罪者にするわけにはいかないよ」
「光先生…」

手が重なり、そっと指を解かれる。

「お前がどうにかなったら、慧が今度こそ壊れてしまう。……あんな目に遇ってさえ、あの子はお前から逃げようとしなかったんだ」

言葉を切った光先生が、にんまり、とばかりに唇の端を引き上げた。

「慧の気持ちが何処に向けられているか、はっきり判ったかい？」

真っ直ぐ見詰められた視線を、受け止める。
光先生は何度も頷いてくれた。

「ここに居ておあげ。熱が出てくるだろうから、後で氷嚢を届けさせるよ。俺は向こうを見てくる」
「ありがとうございます」

静かに閉まる襖を見届けて、慧さんの側に寄った。

心なしか赤い顔にそっと手を当てる。
あと一歩遅ければ、温もりごと失っていたかも知れないんだ…。


怒りと摩り代わった恐怖に深く息を吐く。
情けねぇ…今頃震えてきた…。

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