花の聲ー日々綴りーその２

こそり、小話 ページ6

定治.

春まだ浅いある日のこと。
長年お勤めしている、薮屋のご隠居が私に打ち明けた。

「家族旅行に行きたいんだよ」

と。

とかく破天荒なお方である。
若かりし頃からなので、今更何も驚きはないのだが。


今回『も』、中々の無茶であったな。
思い出しては口の端が上がる。

打ち明けられてから、宿を始めとする諸々の手配を秘密裏に行った。
楽しみの中最も心配だったのは、あの時を境に全くお出かけをしていない慧坊っちゃんだ。



今でも鮮明に思い出せる悪夢。
あの事故は若奥様の命を奪い、幼かった慧坊っちゃんに大怪我を負わせた。

時間と共に身体の傷は癒えたが、心を病んだ坊っちゃんは声を失って…。




(あの若者を連れてきた時には、どうなることかと思ったがなぁ)

今では私も含め、皆が雄也に感謝している。
自己評価の低い彼は、そう言うといつも真顔で否定してくるけれど。

『僕がそれとなく聞き込んでおくから、定治は手配を進めといておくれ』

ご隠居様は仰り、慧坊っちゃんにさまざまな探りを入れてたようだ。

例えば汽車は怖くないか。
大きなお風呂に皆と入るのは嫌じゃないか。
長旅をしてみたいか等々…。

『雄也と一緒なら何でも嬉しいってさぁ。妬けちゃうねぇ』

複雑そうだったなぁ…。

「あなた、お茶を…どうかなさって？」
「いや。お前も一緒にどうだ」
「そう仰ってくれると思って」

縁側に来た妻は、盆に二人分の茶と団子をちゃっかり用意している。

「今頃皆さまで楽しんでらっしゃるかしら」
「そうだな…いや、まずはご隠居様が叱られてる」
「まぁ、また内緒事だったのですか？」

私がよく話すからか、ご隠居様の行動に慣れっこの妻はころころと笑う。

「雄也の誕生日祝いを兼ねていることは、坊っちゃんに打ち明けると言ってたよ」
「それはそうでしょうとも。でないと慧坊っちゃん拗ねておしまいですよ」

そんなものかねぇ？

「殿方はその辺鈍くて困ります」
「わかったわかった」

矛先が向きそうだ。

「どうだ、たまには一緒に散歩でも」
「あら嬉しい。では着替えて参りますわ」

………何故だ。

いそいそと奥に戻ってしまった後ろ姿を見送る。

「何故着替えるんだ…」

やはり理解出来ん。

「まぁ…よしとするか」

お店(たな)は明日も休みだ。ご隠居様の土産話も楽しみに、こんな時でもなけりゃ出来ない女房孝行も悪くない。


すっかり置き去りの団子を齧りながら、支度が出来るのを待つとしよう。








結.

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