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エーミール視点
Aさんが去っていくのを見送って、廊下を見渡す。誰もいないのを確認してから、教室に戻り席につき、机の上に彼女から預かった虫かごを置いた。
静かな教室。
静かな朝。
日本にやって来てしばらく経った頃。朝早く登校して読んだ本のことを思い出した。
あの話は俺が住んでいた国の物語だが、地元ではそこまで有名な話でもなく、それを読んだのは日本に渡ってその時に読んだのが初めてだった。
衝撃的な話だった。当時の俺にとって、蝶とは、計り知れない知識の象徴であり、俺が一番望んでいるものであった。
物語の中の「僕」が、あのクジャクヤママユを羨ましがったように。あの中庭を挟んだ向こう側に住む「彼」を羨ましがったように。俺もあの人に…"彼"に羨望の眼差しを向けていた。
「エーミール、というのか。俺も昔、ドイツに住んでいてな。良ければ仲良くしようじゃないか」
彼は圧倒的存在だった。グループ活動で初めて彼と話したのだが、それはもう傾倒してしまうほど、彼は同年代の級友たちとは一線を画していた。
当時を思い出しながら、虫かごからクジャクヤママユを取り出す。胴体を親指と人差し指で挟み込むと、どこか小さく感じた。当時これを〆たときの俺の手が小さかったからだろう。
胴を捕まれ足をバタバタと動かす蝶を静かに見つめる。ああ、かわいそうに。どんなにもがいても、俺の手からは逃れられないのに。
俺も、同じだけど。
もう、俺も、彼から逃れることは出来ないのだ。
羨望だとか、そんなきらきらとしたものでは決してない。俺が彼に抱えているのは紛れもない＿＿＿嫉妬心だった。
「そんなに知識が欲しいか？」
ああ、欲しいよ。
誰にも負けない、貴方にも負けない知識が欲しい。
そして、その日見た彼の瞳の赤が、俺が最後に見た色彩だった。
ぷち。
指先にほんの少し力を入れると、蝶の胴体からそんな音が振動して伝わる。
そして、暴れ回っていた蝶が途端に大人しくなり、すっと羽を落ち着かせる。
蝶の羽ばたきが止まる瞬間を、俺は知っている。
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