陽炎（かげろう） (ページ9)

今日:7 hit、昨日:5 hit、合計:158,874 hit

９ページ9

中庭には石灯籠の影が月明かりにくっきりと落ちている。
それをじっと見つめる智の心は今どこにあるんだろう。ついそんなことを考えて、
あわてて首を振る。

「今夜は月が明るいね」
呟くようにそう言って智は振り返り、俺を見て笑う。

どこか遠くへ行ってしまいそうな智に意味も無く不安を感じるのは、
俺の気持ちが宙ぶらりんなままだからなのかもしれない。
でも、答えを急いじゃダメな事はわかってる。今、智はここにいる。
俺の目の前に…手をのばせば届くところにいるんだから。

料理はどれも気に入ってくれたみたいで、いつもよりたくさん食べたんじゃないかな。
ゆっくり美味い酒を飲みながら他愛ない話をする。

釣りの話をするとき、智は饒舌で楽しそうで、一緒に行った友達を羨ましく思ったりもする。
俺の知らない智がそこにはいるからね。
でも、何もかも知ることなんてできないし、そんなことしたっていいことないと思うから、
たぶん俺は智と釣りはしないだろう。
もちろん、智に誘われたら行くよ。でも今のところそれはないしね。

俺はいつも仕事の話になるから、それをやめようと思ったら口数が少なくなってたみたいで、
気付けば智が眉を下げて見つめていた。

「今日はあんまりしゃべんないんだね、何かあった？」
「いいや、今日は智の話を聞きたいなって思ってるからね」
「え、マツジュンが喜ぶような面白い話なんてないよ」

困った顔でそんなこというから、可笑しくて吹き出しそうになった。

「別に小話を期待してる訳じゃないよ。あんたが楽しかったこととか、むかついたこととかを
聞きたいだけ」
「むかついたこと？そんなのあんまりないな」
「そうだよね、イライラしてるとこなんかも見たことないかも」
俺が首をひねってそう言うと智が声をあげた笑った。

「だって、おいらがイラッとくるよりずっと早くにお前が怒ってるじゃん。
おいらが怒らないんじゃなくて、先に誰かがもう怒ってるから、
おいらが後から更に怒ることなんてないんだよね」
「え、そういうことなの？」
「そうだよ、おいらだって腹立つことあるよ。
でも、みんなといるときに、おいらが先に怒るなんてないかも」

ふふっと笑ってちびりと酒を飲んだ。