その軌跡を語るなら

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《篤人は語られる》

Aさんの少し低い声が、時折掠れたり、震えたりしていた。
俺は、隣に座る彼女の横顔を見ていたが、相づちを打つことすらためらわれた。

その重い内容に、彼女に辛い話をさせた事を後悔したが、聴けた事に後悔はしていない。
でも、確かに、ヤコさんが言ったように、軽い気持ちなら、これ以上彼女の人生に踏み込むべきではないだろう。

「帰国後って書いたのに、3日後にはもう弁護士さんから連絡が来て、彼は離婚を望んではいません、て言われたの」

静かに話し続けるAさんは、そんな苦悩に満ちた日々を過ごして来たにも関わらず、やっぱりとても美しい。
そして、前を向こうとする懸命な眼差しに、俺も真剣だと、軽い気持ちなんかではないと確信した。

「でも、何とかあたしの気持ちを解って貰えたみたいで」

止めた方がいいって、と言われた。
7つも年上の、バツイチになるこの人に。
でもそんなの、俺があなたから手を引く理由にはならないよ。

「帰国したら、届けを出して、これを返して、そして、あたしは、古屋 Aに戻るの」

薬指の、小さな、だけど存在の大きなそれを、彼女が外そうとする。
俺はその手を、ぎゅっと握りしめた。

フルヤ、と、初めて聞いた彼女の旧姓に、少し不思議な感じがする。

思いの外、細くて小さいAさんの冷たい手が、俺の手の中で温かくなっていった。

俺は。
この手を離したくないし、この人のそばにいたい。
でも、ひとりで盛り上がっててもだめだ。
これからも彼女に関わっていく為には、俺が真剣だと解ってもらわないと。

「俺に外させて？」

Aさんが俺を見る。
あっという間に、その瞳から涙があふれて、ぽろぽろと俺の手に落ちる。
彼女が必死に守ろうとした物の象徴であるそのリングを、俺がそっと引き抜いた。

Aさんの嗚咽を聴きながら、彼女の手をもう一度自分の両手で包み込む。

「俺、やっぱりあなたが好きだからさ」

Aさんが首を振る。

「だめじゃないよ。俺、待てるし」
「…待っちゃだめ…。あたし、篤人君のことなんて、嫌いだもの…」

そんな嘘言ったって無駄です。
そんな子供みたいな、可愛い嘘。
普通、嫌いな人に、怪我の心配をして電話をかけたりはしないし、大好物を皿に山盛りに作ったりはしないよ？

「嘘つき」

彼女がまた首を振る。

夜が深くなって来て、コーヒーもすっかり冷たくなってしまった。
でも、何だか俺の心は温かくて、彼女の手を更に強く握りしめた。

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