その軌跡を語るなら

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その夜、内田さんとユリアンが帰った後に、フィリップが何かの書類を出して来た。
VWのロゴが入った社内用のそれは、何枚かはドイツ語で、何枚かは日本語だった。

「よく読んで、考えてみて？」
「うーん」

前に言われた、こっちで仕事をしないか、と言う話はまだ生きていたようだ。

「悪い話じゃないと思うし、Aがこっちに来てくれたら、ヤコも安心するし、僕も、嬉しい」
「でもそれじゃ、またみんなに迷惑かけることになる」
「かけたらいいじゃん、ね？ フィル？」

姉は元来、ポジティブで、やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいというタイプ。

「来て無理だったら帰ればいいのよ」
「言うと思った」

でも、そんな簡単な話ではない。
同じVWとは言え、日本とこっちは別会社なんだし、そういう転勤制度はあるが、これが通るとなると、それはかなり異例の、という事になる。

「今のところ、秋から欠員が出るのが、エッセンのショールーム。残念ながら、広報みたいな仕事じゃなくて、営業なんだけどさ。ただ、日本人のお客様が多いから、大歓迎とのことだよ」

私も義兄も、新旧のシャルケのユニフォームを着たままだったが、フィリップはだいぶお腹周りがきつそうだ。
それを見て、姉が笑う。

・・・貫禄がついて、肩書きも増えたけど、販売店の一店長に人事にまで口を出す権限があるのだろうか。
フィリップが無理をしたんじゃないかと心配になった。
日本語の用紙の方には、私の直属の上司である広報室の室長名や、数える程しか会ったことのない更にその上長の名前まで記載されている。

「A、プレッシャーを感じる事はないよ？ 嫌なら、もちろん断っていいんだ」
「…フィリップ、あなたに無理をさせたんじゃない？」
「全然！ 実は、君が仕事をし難くなると嫌だから、言ってなかったんだけど、広報の高瀬室長と僕は昔一緒に仕事した事があるの」
「え？」

初耳だった。室長も隠していたのか。

「船橋店で同僚だったんだよ」

船橋なら、姉がフィリップと出会った店じゃないか。
車を買いに行ったら、ドイツ人の恋人まで付いてきたって、一時うちでは、フィリップはビートルのおまけ扱いだった。

「そう、僕とヤコが運命的な出会いをした、あの船橋店！」

そうか、あの時、高瀬室長もあの店に勤務していたのか。

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