月に叢雲花に風 (ページ21)

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「今日は俺が車あるから」

ジミンの去り際のセリフはそれだった。

どういう事。
デスクに置かれたコーヒーは今し方ジミンに貰った物だと認識してはいるが、それ以外はずっと"どういう事"だ。
勿論最後のセリフも含めて。

そもそもあれは約束だった？
せいぜいリップサービスの様な物だと思っていた。
またご飯に行こうってジミンが言ったあれだ。
しかも多分、その後に付け足されたそれこそ冗談だと思っていたやつ。

"二人でもいいけど"

その瞬間のジミンの表情と一緒に思い出してしまって思わずガンと音を立ててデスクに突っ伏した。
耐えられそうになかったからだ。

まさか。
本当に？

二人で－－－？

何時に行くとか何時に待ち合わせとか何処に行くとか詳細な約束事はなかった。
ただ私の仕事が中途半端な時間に終わって、一息ついて部署の壁に掛けられた質素な時計を確認したら夜の7時30分を過ぎていた。

流石に時間も何も分からないままで待ってるわけがない、と退勤の支度を済ませながら思う。
いや、待ってなくていい。
その方がいい。
そんな期待もある。

数人残ってるスタッフに挨拶をしていつも通りに退勤する。
誰もいないエレベーターに乗って一階まで行ったらそのまま直進で自動ドアから外に出て、地下鉄に乗る。

"いつも通り"が崩れたのはエレベーターに乗り込んだ時だ。

開いたドアのそこには先客が一人いて

「ヌナじゃん」

Tシャツにスウェット姿のジョングクだ。

乗るか乗らないか。
躊躇して足が出ない私に'乗らないの？'とジョングクが私の目を見て言うから呆気に取られてしまって無言でエレベーターに乗った。

少し間を空けて並んで立つ。
ジョングクの香水の匂い。
ジミンとは全く違う匂いだ。
Tシャツの袖から出てる右腕には落書きがいっぱいで左右で別人の様な。

「何？」

ジョングクが横目で私を一瞥した。

「、いや、別に」

うっかりまじまじと見てしまっていた。
腕のタトゥー。
目を逸らしてただ無機質なエレベーターのドアを見る。

「ヌナ」

三階から二階に向かうエレベーター。
ジョングクのそれに今度は私が'何？'と返す。
ドアを見たまま。

「今日は俺は行かないからね」

低い淡々とした言葉に思わず振り向かずにはいられなかった。
私を見下ろすジョングクの目に初めて私が映っていた。
ジョングクにはどんな表情に見えたのだろうか。