さん ページ3
学校が近かったせいで、担任の先生が朝、よく迎えにきてくれた。
それでも行きたくないものは行きたくないので、軽いノリで「今日は行きたくない」というと、先生は「じゃあ明日は来いよ」といい、学校に戻ってくれた。
時折カウンセリングを受けるためだけに学校に行くこともあった。
会議室みたいなところで、知らないおばさんと二人きりで、
「どうして学校に行きたくないの。誰にもいわないから、話してみて」なんて、どうしてそれで話せると思っているのか。別に理由があった訳でもないが、ひねくれている私は大人の言葉なんて信用できなかった。どうせ、裏でみんな繋がっていて、どうにかして私を学校に行かせるように仕向けてくるに違いないと、そう思っていたのだ。その場しのぎの「分からないです」を繰り返すばかりだった。
ある日、意を決して母に自己嫌悪のことや、死にたい、といったことを打ち明けた。別に可哀相に思われたかった訳では無い。ただ、家の中にいるときも「明るい自分」でいることに耐えられなくなったのである。私の自己嫌悪は、小学校から芽生えていた。毎日毎日、憂鬱な朝を迎え、泣きながら学校を拒否する生活を繰り返していた。しかし、母の台詞はこういったものだった。
「頭おかしいんじゃない?病院行く?」
「それ、なんていうか知ってる?中二病っていうんだよ。」
私は今でもこの言葉が忘れられない。皮肉じみたため息とともに出たような、母の呆れたようなこの言葉が。
中二病なことあるものか。もし中二病というものが、こんなに毎日死にたくてたまらなくて、夜に泣かない日は無くて、こんなに辛くて苦しいものなのなら、もっとメディアで取り上げられるべきだし、精神科受診理由のトップにだってなっているだろう。
この言葉は、数年に渡って私を苦しめた。悔しかった。とても悔しくて、悲しくて、絶望した。
後々、母からそういう意図で言ったのでは無い、と聞かされたが、この一件で私は、母というものは信用できないものなのだと認識するようになった。
周りには、きっとただのサボりで休んでいたのだと思われているだろう。しかし、私は自分で言うが演技が上手かった。そう思われるように、学校に行った際はいつも通りの「明るい自分」を演じ、間違えても泣かないように、人の前では笑って一日を終えられるようにと、気をつけていたのだ。
しかし、帰ってからはそんな自分すら嫌になり、余計に自己嫌悪が進むのである。
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一緒に書いていた者 - あの時どんな気持ちだったのかちょっとだけ知れた気がする。こうして見れるかたちにしてくれてありがとう。今も元気で楽しく暮らしていたらうれしい。また会おうね! (3月1日 13時) (レス) id: 2ebf34ff0f (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:TAKI x他1人 | 作成日時:2020年3月10日 23時