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千は重く閉ざされた扉の前に腰を下ろしていた。まどろみの淵に落ちそうな彼の頬を優しく吹き抜ける風が撫でる。春先とはいえ夜はまだまだ寒い。薄手のカーディガンを一枚だけ羽織ったままの彼は身を縮こまらせながら扉が開くのを待っていた。
＿＿＿ギィ、と鈍い音を立てて蝶番が曲がる。鼻腔の奥を擽る愛しい刺激が段々と千の意識を覚醒させていく。痩せた？何事もなかったかのように、彼は話しかけた。その様子に拍子抜けたAは大きなため息を吐いて「早く入れ」嬉しそうに笑う野良猫を部屋にあげた。
風呂に入れた後、びしょ濡れのままリビングをほっつき歩く千を捕まえたAは、彼が持っていたバスタオルを奪いがしがしと乱暴に水分を拭っていく。
「千、お前、いつもこうなのか？ 万理も世話が焼くな」
「いつもじゃない。……今日だけ」
「＿＿ハァ……手間をかけさせるなよ、全く」
適当に座らせて湿った髪を指の合間に滑らせながら慣れた手つきで乾かしていく。終わったぞ＿＿その声を合図にドライヤーの騒音は消え失せ、部屋は煙草の匂いと静寂にどっぷりと浸される。千の面倒が見終わると、Aは早々に原稿と向き合い始めた。紙に引っ掛かった万年筆の先から滲むインクは千の頭の中にぽつぽつと音を落としていく。ソファで横たわる彼は心に垂れるそれを口ずさむようにAを呼んだ。
「……煙草、吸う本数増えたね」
「……」
「……ちゃんとご飯食べてる？ ちゃんと寝てる？ 僕も万も心配してるよ」
「……」
「……ねえ」
止まらないペン先。動かない唇。振り向かない無造作にハネた髪。千はソファから抜け出すとAの服の裾をきゅっと掴んで今にも消え入りそうな声で「僕の話を聞いて」と縋った。
須臾の沈黙。乱暴に置かれた万年筆。掻き上げられた前髪の合間から見える蒼い三白眼の双眸は、寂しそうにこちらを見下げる千を睨みつけていた。
「……ほんっと喧しいな、お前。ガキは早く寝ろ」
「じゃあAも一緒に寝よう。いつも万と寝てるから一人じゃ眠れない」
「はァ！？ ちょ、おい、離せ」
無理やり椅子からAを引っ剥がすと、先程まで寝っ転がっていたソファに腰を下ろさせる。そして逃げられないように太ももに頭を乗っけると目を瞑ってすやすやと寝息を立て始めた。
「おい、ガキ。邪魔だ」
「……」
「……本当に寝たのかよ。あﾞー、ダルい」
全く面倒臭いモンに懐かれてしまった。が、側に誰かがいることの安心感がこれ程とは。それがこのクソガキなのは納得いかないが。
「…、おやすみ」
少しばかり、幸せな夜明けになるかもしれない。
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