「ばいばい」 ページ1
―――……、
(…？)
なにかが聞こえた気がして、出久は後ろを顧みる。
けれど緑色の瞳がとらえたのは、夕焼けに照らされて橙色に染まる廊下のみだった。
(気のせい…だったのかな)
流石国立だけなあって広く長いこの廊下も、殆ど生徒の帰った放課後ではがらんどうで。
出久の把握できる限りでは、出久以外の生徒はてんで見当たることはなかった。
(きっと、遠くの音が聞こえたんだろうな)
(こんなに静かだと、そうでもおかしくないし)
そう結論づけて、出久は顔をくるりと前に戻した。そのまま下駄箱を目指して歩いてゆく。
その緑のもさもさした頭は、もう一度振り返ることはなかった。
彼の思考は既に別のことに侵されて、先程の出来事は、綺麗に忘却されたのである。
だから、気づきもしなかった。
出久の死角にあたる、曲がり角のところ。
そこに音もなく引きずりこまれた少女が、出久に話しかけようとしていたことなんて――
*
歌声が響いている。
玲瓏な声で紡がれるその歌は、皆がうっとりと聞きほれてしまいそうな、大層美しいものだ。
驚くべきことに、それは鼻歌混じりに奏でられているもので。
――けれどそれに聴き入る余裕は、『ソレ』にはもう、残されていなかった。
アカ、だ。
ただひたすらに――赤い。
上下左右、すべてが『さかさま』になったその空間。
そこでは地面に当たる天井で、あかいあかい、とぉっても醜い花を咲かせている『ソレ』が――娘が、いる。
青いような白いような肌をひくひくと痙攣させて。
血走った目はどこを見ているのか最早判らない。
赤い花弁はまだまだその身体から流れ続けている。
歌声が響いている。
先程緑谷出久の耳にほんの少しばかり入った、鼻歌混じりの、大層美しい歌声が。
それは弔いの歌ではなかった。
それは娘の終焉を祝う――よろこびの、歌だった。
明確に理解しきれるほどに、明るい調子の歌だった。
けれど娘は解らない。
折られ砕かれ、それでもなお踏み躙られた心はもう、なにも感じることが出来なくなってしまっているから。
誰もあわれんでくれない。
誰もかなしんでくれない。
誰も――悼んで、くれやしない。
だって娘は、大罪人なのだから。
大罪人だから、引きずり込まれた。
大罪人だから、赤い花を咲かせる破目になった。
大罪人だから、終焉をよろこばれている。
私欲に走り、私欲で歪めようとした大罪人への、罰。
これこそが――何よりも相応しい、末路。
おろかな娘の、最期だった。
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作者名：樹山 | 作成日時：2017年10月15日 2時
