【TH】先生、嫌いです (ページ31)

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特に話すことも無くて、何となく手に持っていたユンギ先生の本を開いた。

「ほんと、凄いよね」

隣からそんな声が降ってくる。この本の事？

『はい。読みました？』

「今やっと半分くらい」

多幸症、だって。はじめて聞いた。
どうしても中身が気になって最初のページを読み始める。

「電車で読んだら酔っちゃわない？」

『そうですか？』

「分かんないけど」

よく分からない会話に何だそれ、と思わず突っ込みたくなる。まあ家でゆっくり読んだ方がいっか。

最寄りに近付くほど人が少なくなって、いつの間にかこの車両には先生と私しかいなくなっていた。

「ねえ」

『はい』

「この世界の中で、どこからがいけない事だと思う？」

…それは、どういう、。
質問の意味がよく分からずにいると先生が続けた。

「ほら、倫理観とか小説でよくあるじゃん。していい事と悪い事の境目ってどこなんだろ」

カタンカタン、と電車の音が静かな車内に流れる。
先生との間に流れる微妙な空気。

そんな難しいこと、先生なのにどうして生徒の私に聞くの。

『まあ小説の中はフィクションだから全部許されますよね』

「じゃあ現実は？」

『…人を不幸にさせたら、とか』

「あ、着いたよ」

徐々に減速していく電車がキィ、と止まった。
わざとなのか、私の話を遮った先生。

自分から聞いてきたくせに。

む、とすれば先生は何もなかったみたいににこりと微笑んで、私の最寄り駅で一緒に降りた。

『ここで大丈夫です』

改札を出ようとする先生をひき止めて、私が先に改札を出る。

「ほんとに？」

『はい、まだ明るいし』

「そっか。気を付けてね」

「じゃあ、また明日。」

ひらりと手を振った先生に小さく頭を下げて、背中を向ける。

少し歩いてから振り返るとまだ改札の前に立つ先生と目が合った。振り返って確認したのがバレて何か恥ずかしい。くすくす笑ってからもう一度こっちに手を振った。

お互い幸せなら、きっとそれは悪いことじゃない。
誰でも分かるような簡単な答え。

簡単なことなのに、難しい。

頭の中にかかった靄が、また少し深くなった気がした。