▽ ページ35
．
「―――……なぁ、伊沢」
暫く無言でスクロールしていると背後に風呂から上がってきた伊沢の気配を感じて、名前を呼ぶ。Aは隣の寝室に居るらしく、ベッドではしゃいでる声が微かに聞こえてくる。
振り返る気力はなかった。スマホを握る指先に力が込もって、明日決行することに対しての不安が募る。
Aのためだと分かっているのに、逃げ続けた方が良いんじゃないかって、馬鹿みたいなことを思ってしまう。
「僕は、どうしたら良かったんだろうな……」
振り返らない、と決めたはずだった。
なのに、昔からの友人である彼が居ると、どうしても弱音を溢してしまう。こんなこと言ったって仕方ないと頭では分かっていても、言わずにはいられなかった。
Aの前では絶対に弱音は溢さないと決めていた。ネガティブだからこそ、前向きに。未来のことは考えず、目先のことだけを。
余計なことを考えないように、ずっとそうやって日々を過ごしてきた。
本当は、吐き出したかった。頭が痛くなるくらいの悩みを、息苦しくなるくらいの不安を、未来に対する恐怖を吐き出して、なにも言わず、頷いてほしかった。
言葉は要らないから、誰かに聞いてほしかった。僕の情けない弱音を。
「……分かりません」
「……」
「でも、Aちゃんには、河村さんが必要だったと思いますよ」
タオルを頭に乗せた伊沢が、俯いた僕の隣までやってくる。―――あれから、もう半年以上が経っていた。彼が俺に休みをとりますかと提案してくれた時から、もう。
人の運命が定められるのは一体いつなんだろうか、とふと考える。
彼の提案に「考えとく」と返答したときなのか、仕事に対して迷いが出てきたときなのか、クイズを広める活動に参加したときなのか、彼と出会ったときなのか……この世に、生を受けたときなのか。
僕はどうすれば、誰にも迷惑をかけない方法で、Aを幸せに出来たのだろう。
……Aと、出会えたのだろう。
「……そうだと良いけど」
僕の声を掻き消すように、Aがリビングに戻ってくる。「かみさまー！」と抱きついてくるAを受け止めると、伊沢から漂う香りと同じ香りが、彼女の湿った髪からも漂ってきた。
―――明日で、僕は。Aをこうして抱き締めることすら、出来なくなる。
．
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 411人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を見ている人にオススメ
「オリジナル」関連の作品
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
阿部葵(プロフ) - 授業中なのに一気読みしてしまった､､、それぐらい面白かったです!! (10月23日 11時) (
レス) @page50 id: 9bdf52cb2f (このIDを非表示/違反報告)
レオ - 涙とともに語彙力が抜け落ちてしまったんですけどいいお話すぎてめちゃめちゃ泣けました。 素敵なお話ありがとうございました (2022年3月1日 5時) (レス) id: 4d31a55c6b (このIDを非表示/違反報告)
みそら - ほんっっっとにいいお話でした！もう涙が止まらないし、、心臓鷲づかみにされました。素敵なお話ありがとうございました！ (2021年8月13日 3時) (レス) id: b1ecf40e27 (このIDを非表示/違反報告)
百舌鳥(プロフ) - あああ!(泣)なんだよ、涙で前が見えねぇよ!!。こんなことならティッシュじゃなくてハンドタオル準備するんだった!!。､､､誘拐事件のニュースを見ただけでどっちが悪いかを自分も考えなきゃいけない。頭ではわかっても本当に裏側を見る努力を自分はしてなかったんだな (2021年8月3日 21時) (レス) id: 47ce5ea5c1 (このIDを非表示/違反報告)
神ちゃん - 感動すぎて号泣です。今までで、一番良い話でした！泣きすぎて語彙力がなくなってしまいましたが、とりあえず、素敵なお話でした！この作品を書いてくださり、ありがとうございます。 (2021年7月3日 21時) (レス) id: 2fdd422fa8 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
