地獄に響けども俺の耳には残らない ページ7
「クリスティーヌ…否、ロマーノ。ローマよ…」
右へ左へグラグラと揺れ動くその姿は、ただただ恐怖でしかない。だが、不思議と逃げ出したいという感情は全く湧き上がっては来なかった。顔を手で覆い隠しつつ、ロマーノを覗き見るあの赤い瞳は、狂気を孕み、怯えを纏っている。
「…用件は、何だったか」
ロマーノが瞬きをした一瞬のうちにファントムは姿を変えた。禍々しい仮面は何処へやら、視界に写るは眼鏡を掛けた控えめに俯く美丈夫だった。だが、この男は無辜の怪物であると語るには十分すぎる程の重苦しい雰囲気を背負っていた。
「宝具、宝具が見たいんだ…そしたらデオンがお前なら見せてくれるって言ったんだコノヤロー」
恐怖で頭に残ってすらいなかった言葉が口から出ていく。それと一緒に、よくも怖い思いをさせてくれやがったなと言った意味合いでの悪態も。ファントムはその言葉をじっくり味わい、思考と言う名の咀嚼をした後にふわりと笑った。気恥ずかしそうなその笑みに、ロマーノは皺になる程強く握っていた手をだらりと降ろしていた。手汗でべとべとしていて、それだけが不快だった。
「席へ」
すっとファントムが席を指し示すと、ロマーノは何も言わずに独り席へ着く。これから公演が始まる様な興奮は、残念ながら全くない。代わりにあるのは少し怖いが見たいという好奇心ただひとつだった。
「歌え…歌え我が天使
現れたのは骨でくみ上げられた巨大なパイプオルガン。その骨が一体何の骨であるかなど、あらゆる言葉を使ったとしても杞憂だ。
ファントムが目の前にあるであろう鍵盤を押すと、かつてこの様な負の音を聴いた事があったかと思う程の音がロマーノを支配した。これが見世物小屋の男、オペラ座の怪人。これが、これこそがファントムを表す宝具。ファントムの宝具を見せて貰うように勧めた彼等の言いたい事がなんとなくだが分かった気がする。
演奏が終わった途端、ロマーノはその音を完全に忘れていた。だが、とても言語化出来るものではないということだけは覚えている。
「もう帰りなさい。貴方がクリスティーヌでないのなら、私は、私は…おお、クリスティーヌ…」
後日、その日の事をサリエリに話した。
「音を忘れるように彼奴が魔術を用いたのだろう。一時的ではあったが、精神汚染が解けた事によりそれが可能になった、ただそれだけだ」
続く
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作者名：左目から鯖味噌 | 作成日時：2018年4月28日 11時
