73.芋虫の飼い主【kn】 ページ8
「ただいま」
真っ暗な自宅に帰ってきたコネシマの目に一番に飛び込んできたのは、Tシャツを着た一人の女の姿だった。床の上に芋虫のように転がっている女をコネシマは一瞥した。そしてため息を一つついた。
「また脱走しようとしたんか？」
「……ちがう、ベッドから落ちただけ」
「そうか」
女ーーAは下からコネシマを睨んでいた。そしてそれを軽くかわしたコネシマは、軽々とAの体を持ち上げる。
Aは少しだけ抵抗するが、勝てないと分かったのかやがて諦めたように手足を動かすことをやめた。
やがて寝室までAを運んだコネシマは、Aをベッドに優しく放り投げた。Aは顔から落ちたが、彼は何も言わずにAに布団をかけた。Aは抗議することも面倒くさそうにため息を吐いただけだった。
「メシは？」
「食べれるわけないじゃん……」
「せやな」
コネシマはその場を離れ、キッチンへと向かった。Aはそれを黙って見ている。
やがて遠くからお湯の沸騰する音が聞こえてきた。そしてそれと同時に、ミートソースの香りが漂う。パスタを作っているのだろうか、とAは予想した。
「……食べられないから、食べさせて」
「ん」
Aがいま発した声は屈辱な気持ちを全て詰め込んだような声だった。それでもコネシマはそれを気にすることなく、まずAの顔をタオルで拭いた。それは擦るような強い手つきではなく、壊れやすいものに触れるようなそんな優しさと愛に満ちた手つきだった。
それでもAは顔を歪めて、コネシマの手がはやく離れることだけを願っていた。
「ほら、あーん」
「……ん」
やがてAの顔を拭き終えたコネシマがフォークを差し出した。そこには一口分のパスタが巻かれている。Aは口を開け、それを咀嚼した。
不味くも美味しくもない、普通のレトルト食品の味がする。この日常がいつも通りになってしまったことに、Aは軽く絶望しながら口を動かした。
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