(Fischer'sのお話) (ページ10)

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(マ) それは甘美な、② ページ10

何回かコールが聞こえた後に、向こう側から気怠そうな声がした。どうやら寝ていたようで、そっと心の中で謝っておいた。

『……んだよ、こんな時間に。』
「お腹空いて動けない……。」
『ハァ？お前この前喰ったばっかりだろ？』

彼は吸血行為を「喰う」と表現する。私はその表現を好まないけど、彼の食事を見ていると「喰う」と表現するのも頷けるようなものではある。

「お願い、迎えに来て。そして血をちょうだい。」
『だりーからやだ。つーかよ、そんな間隔狭まってるんだったら、番、迎えた方がいいんじゃね？』

番(つがい)。吸血鬼と結婚したヒトの呼称だ。
ヒトが吸血鬼を受け入れてくれるのなら、異種であろうと結婚しても構わないことになっている。本家のヒトの血では満足出来ない吸血鬼ならば、なおさら番を迎えた方がいいとされている。番の血を飲むことで、衝動を抑えることが出来るからだ。
昔は、ヒトと結婚することはタブー視されていて、今でもその考えが根強く残っている吸血鬼達も多い。それによって、吸血鬼同士の対立も増えた。

『んじゃ、まぁ、そういうことで。無闇に人間襲うなよ。』
「えっ、待ってよ……！」

無理やり電話を切られてしまった。それと同時にお腹が鳴る。

「も〜〜……、心配するくらいなら迎え来てよね……。」

ため息をついて、蹲る。

「……大丈夫ですか？」
「！」

頭上から声がして顔を上げると、そこには私と同い年くらいの男性が立っていた。健康そうで、眩暈がするほどの、強い香りを放っている。

濃くて、甘い、そんな香り。

「……あなた、怪我、してる？」
「いや、してねえけど……。」

こんなにも強く香るということは、怪我でもしているのではないか。そう思って聞いてみたけど、男性は否定した。

「そう……なの。」
「何でこんなところに？」
「…………お腹、空いてて。」

空腹を訴える私に、男性は首を傾げて訝しげな目をした。男性が少しでも動く度に、本能が飛びそうなくらい、甘い香りが漂う。

「ねえ、……あなたのお名前は？」
「……マサイ、ですけど。」
「マサイくんかぁ。私は、Aっていうの。」

この人に血を貰おう、そう思った。知り合いが無闇に人間を襲わないように、って言っていたけど、一人だけなら。そしてこの人――マサイくん――から私の記憶を消してしまえばいい。