【太宰治】一腕一足の少女 (ページ50)

今日:13 hit、昨日:5 hit、合計:27,972 hit

歯痒さⅡ ページ50

長く余ったベルトを燻らせる白い君に声を掛けた。

幾ら杖と踵を鳴らせど其の意識が此方へ向くことはなく、私が痺れを切らしてしまった。

「敦さん。」

「……水野さん？」

応接用のソファまで連れ歩き、其々隣に腰を下ろした。

目に見えて気を落とす彼は、何かを云おうと時折口を開けかけるが其の儘もごもごと口元を動かすばかりだった。

先輩として、私から切り出すべきだろう。

「鏡花さんは、間違いなく無事ですよ。」

「…っ！何故分かるんですか？！」

「"見え"ましたから。

間違いなく彼女は、自分の足であの場を去ったんです。」

「鏡花ちゃんの居場所は…」

「…一人で居るのなら、自分の見知った場所でも転々としているんじゃないでしょうか。」

「何でそんな…」

「先刻の人…尾崎さんは、鏡花さんを連れ戻しに来たのでしょう？」

「でも鏡花ちゃんは其れを拒んだんだ。其れなのにあんな事になって…。」

「彼女は考えている筈です。

自分が如何すべきか、如何したいか。自分の有り様と居場所で悩んでいます。

敦さん、貴方は至極正しい人です。

困難や疑問にぶつかる事は多くとも、弱き者を助ける心が芯にあります。

一方で鏡花さんは正しさを認識する前に闇に身を置きました。

其れが如何云うことか、分かりますか？」

「善悪の認識がつかない…？」

「端的に云うとそうですね。

何が善くて何が悪いかは、頭では分かっているんです。

でも彼女の骨身に染みた闇の包容は、いざと云う時に効率的に且つ安楽な方へ誘ってしまいます。

だから鏡花さんが悪い事をした時は、貴方が叱って上げるんです。

善い事をした時は、沢山褒めて上げるんです。

歳も境遇も近しい敦さんだからこそ、彼女に響くのです。」

「僕が…そんな大それた事…。」

「別に叱るのも褒めるのも大した事ではありません。

普通の事なんです。

普通の事がどれ程素晴らしい事かは、貴方が一番よく分かっている事でしょう？」

「……っはい！」

「其れでは、一先ず事務仕事に取り掛かりましょう。

敦さんに運んで貰いたい物が結構あるんですけど、お手伝い宜しいですか？」

「勿論です！」

事務員が県外へ移動した中、調査員も探偵社に居続ける訳にはいかない。

事が済んだ後の為に、資料等が部外者に触れられぬよう移動させねば。