花笑み Ⅱ (ページ32)

今日:49 hit、昨日:28 hit、合計:292,795 hit

70.リップページ32

Side:nb

千秋楽。

メイクを終わらせ、
衣装も全て着込んでから、

静かに阿部ちゃんのことを起こしに行く。

部屋の隅でだらんと横になっている身体を揺らすと、
彼はゆっくり目を開けて、
蛍光灯の眩しさに目を細めた。

ずるずると身体を起こすと、
俺が全部衣装を着込んでいるのを見て、
少し焦ったような顔をする。

「まだ全然大丈夫だから」

一緒にいた涼太も、ジャケット以外は全て着込んでいて、
阿部ちゃんが起きたのを見ると、
彼の衣装がかかっているハンガーに黙って手を伸ばす。

「手伝うから、
　とりあえず着替えよう」

涼太が衣装の準備をしてくれている間に、
俺は阿部ちゃんの少し乱れた髪を軽く整えて、

メイクが崩れていないかを注意深く確認した。

幸い、大きく崩れている様子はなく、
「リップだけだな」
と自分の鏡前にリップだけ用意する。

2ヶ月近く続いた公演、
かなりギリギリのなかでやってきた。

休演日には取材や別の仕事が入っていて、
ほとんど休みという休みはなかった。

「大丈夫」
と言いながらも、

阿部ちゃんの体調はどんどん不安定になっていき、
千秋楽の今日に限って、
体調は最悪だった。

劇場に着いたときから顔は真っ青で、
足元もおぼつかず、

ふらふらと準備しようとするのを見かねて、
俺たちは必死で彼を止めて、
必要最低限の事を除いて、半ば強引に寝かせていた。

しかしそれも、
もう限界の時間だ。

多少顔色は良くなったと思ったけど、
それでも先程よりは、というレベル。

涼太が衣装を近くまで持ってきて
腕を通しやすいように広げると、
阿部ちゃんは大人しくそこに腕を通した。

気だるそうな手元でボタンを止めているので、
俺はその手を掴んで止めさて、
奪うようにボタンを止めていく。

どんなに顔色が悪くても、
衣装を着てしまえば何かのスイッチが入るのだろう。

うつろだった瞳に、
どんどん光が戻ってくるのが分かった。

「いける?」

ab「もちろん」

ボタンを全て止め終えて
目があったときには、

その顔は体調不調のそれではなくなっていて、
そのプロ根性に、
一周回って笑えてくる。

「お前、本当頑固だよな」

ab「そんなことないよ」

一瞬視線が落ちて、
それと同時に空咳をすると、

当たり前のように花びらが舞った。

俺も涼太も、
それにはもう何も言わない。