音無 ページ5
角から唐突に現れたのは魚住だった。危うくぶつかりそうになったのを、持ち上げていた左足を戻して回避した。全く、気が付かなかった。しかし向こうはと言うと特に驚いた様子もなく相変わらず緩やかに口角が上がっている。深く考え事をしていた最中、そして調度魚住について考えていたのでタイミングが良いのか悪いのか。
何も言えないでいる俺を見、先に口を開いたのは魚住だった。
「お疲れさま、だね｣
「お前もだろ」
言えばキョトンとした顔して首を傾げるので体操服の二の腕部分に留められた会場スタッフ用の腕章を指し示せば眉を下げて困ったように笑った。ふとその視線を追い腕章部を眺めていると不審な点に気付いた。魚住の、生白い腕が伸びる体操服の袖の先が、ほんの少しだけ焦げ付いているのだ。そして、瞬時に思い出すのはあの男の発言。彼奴は、魚住の名を知っていた。
「まだね、午前中は人多くなかった。でも午後から忙しいだろうね、来るのは一年だけじゃないし……轟君らは一騎討ちだよね。まあ、頑張って私の仕事増やさないでね」
じゃあ、と俺の横を通り抜けようとした、頭一つ分程低い位置にある腕を咄嗟に掴んだ。
「……デジャブだなぁ」
「お前、これ」
捕まえた腕の、その細さにまた戦慄した。
患部は若干赤くなっているだけで、爛れだの水膨れだのはなく一応安堵した。が、念の為に右手を滑らせ凍り付かない程度に冷やしてやる。
「……どうしたの」
「どうしたのじゃねえだろ、お前。誤魔化せると思ったか?俺は分かるぞ、なあ」
「轟君」
「彼奴に、親父に何言われた?何で体操服が焦げてんだ?彼奴の炎くらったからだろ?」
「落ち着いてよ」
食い気味に突っかかれば、案の定魚住は飄々と涼しい顔のままでやんわりと俺の右手を掴んで離した。何故、何ともないと言うように平然としていられるのか。あの傲慢で利己的な男と対峙して。これと言った怪我は無かったものの、否定をしないと言う事は矢張り奴の炎をくらったのだろう。いつ、何処で彼奴が魚住に目を付けたのか。しかも、こんな一般生徒に攻撃なんてNo.2が腐るような行動だ。
「……悪いのは私だから、轟君が気に病むことじゃないから」
「大丈夫な訳ねぇだろ、こんなんヒーローがする事じゃない」
「トーナメント前でしょ轟君。こんな事気にしてちゃ駄目だよ」
「こんな事なんかじゃねえ!彼奴は!」
あの日、母は泣いていた。
「轟君」
冷水のように鋭い声だった。魚住は、笑っていた。
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