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伊野尾side
「や、まださん……ッ？」
恐る恐るといった口調で彼の名を呼べば、山田さんの全身から溢れ出る怒気がより一層尖鋭さを増して、身体中に伸し掛かってくるのが分かる。
初めて目にする彼の雰囲気に圧倒され、無意識に身体を強張らせると、彼はほんの数秒だけ言葉を言い噤むような素振りを見せたものの、すぐにまた険しい顔つきで私を睨みつけた。
「ッ、大体、誰彼構わず不用意に近づくあんたの危機感がなさすぎる。そんなんだから腹の内では何考えてるか分からないような輩に目付けられんだろ……ッ！」
「……っ、」
「ああやって無駄に媚び売る様な笑い方も、やめろって忠告した筈だ……っ！」
次々と畳み掛けられる言葉は、まるで私が一つ呼吸を置くことさえも許さないと言っているようで。
とにかく何か言わなければと必死に唇を動かしてみるけれど、焦る気持ちから余計に舌が縺れてその先の言葉が続けられない。
「ッ、本当に、何も分かってない……ッッ！」
冷たい指先が、強く咎めるように私の肩を突く。
半ば叫ぶ様に言い放った山田さんは、忌々しげな、それでいて何処か悲壮感に歪んだ眼差しで私を一瞥すると、今までの剣幕が嘘だったかのように随分と落ち着いた様子で口を開いた。
「……あんたさ、枕狙ってんだろ。」
「……ぇ、？」
思わず、乾いた吐息が唇の隙間から滑り落ちる。
今この瞬間、自分が何を言われたのか。その一切を理解できないまま、じっと見据えた先にある彼の姿がゆっくりと水分の膜のようなものに覆われてぐちゃぐちゃと歪んでいくのを感じていた。
「……賞味期限切れの自分を抜擢してくれた大人には体でも返さねぇと割に合わないもんな？どうせ今までも上の人間に股開いて小賢しく世渡りしてきたんだろうけど、
＿＿＿＿ははッ、ほんと……気色悪い。」
頭の中が白く、溶け落ちていくような衝撃。
その口角に浮かぶ、心底呆れたと言わんばかりの冷たい嘲笑を目にした瞬間、胸の奥で燻っていた感情の全てが一気に迫り上がってきて、唇が震えた。
心の何処かではきっと分かっていた。ただ、信じたくなかっただけだ。自分の聞き間違いであると言い聞かせながら、必死に彼を見上げた私の姿はその眼にどう映っていたのだろう。
心臓を彼の手で鷲掴みにされているようで。抗おうとするほど逆に苦しくて、逃げ出したいのと向き合っていたいのと。相反する感情に引き裂かれてしまいそうで。
「ッ＿＿＿＿おいッ！！」
こんな惨めな気持ちのまま、これ以上山田さんの目に触れていたくない。ただその一心で、彼が再び此方に伸ばしてきたその腕を振り払うと一目散に廊下へ駆け出していた。
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作者名：ひまちぃ | 作成日時：2023年3月2日 23時
