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戸惑いの表情を浮かべる隙すら与えてもらえず、男は私の着物の襟元を乱暴に掴んで、ぐいと引き寄せた。
掴まれた衝撃で首ががくんと揺れて、また一筋、額から鼻にかけてを血が這う。男の目は私の顔を凝視している。それなのに目が合うことはない。何を見ているのだろう、反射的に両腕で顔を覆った。男が何にそうも感情を揺さぶられているのかわからなくて、恐ろしかったからだ。
「そうだ、貴様、稀血だったな」
男はそんなことを言った。
言って、顔を覆う私の両腕を掴むと、ぞんざいにそれを開かせる。顕わになった視界いっぱいに、人間ではない男の青白く、鋭利で、救いようなく美しい顔。ーーー嫌だ、と思った。恐ろしい嫌悪感が背中から這い出して、あんなに暑かった蔵が冷えてさえ感じる。
そして男は、まるで口づけでもするように顔を近づけると、冷えた舌を血の筋に這わせた。上唇の横から、鼻筋を通り、右の瞼、最後にぱっくりと開いた額の傷跡。下から順に啜るように舐め上げる。目を閉じることもできず、私は目の前で男の首筋がゆっくり嚥下に動くのを見つめている。
男の重みで、ずるずると床へ倒れ込む。男は仰向けになった私にのしかかり、なおも額の傷を啜る。時折、男の熱い息が耳にかかった。こんなに冷えた、死んだような体をしているのに、息だけはいっぱしに熱い。はぁっ、と肺から空気が押し出され、肋骨が潰れて痛んだ。
のしかかられると反射的に、媚びるように両腕を男の首に回してしまう。そうすればその媚びに相手が喜び、押し潰さんばかりの体をわずかに起こしてくれるからだ。そうして痛みが和らぎ呼吸ができるようになるからだ。だからつい癖で抱き寄せてしまう。そうしてしまってから、しまった、と思った。小旦那にしつけられた所作だった。だがこれは小旦那ではない。あれはもう死んだのだ。
「……売女が」
吐き捨てるように言う声には、しかし確かに喜色が滲んでいた。
喉も渇かず、腹も空かないのかと思っていた。そうではないのだ、これらは私たちを食うのだと、その時初めて気づいた。屋敷に誰の遺体も無かったのは、食われたあとだったからなのだ。
「久しぶりに酔ったな、稀血など大したものでもないと思っていたが」
満足したのか、男は体を起こすと、ひどく嬉しげに言って薄く表情を崩した。汚らしく私の血で汚れた唇から、鋭い歯が覗いていた。
同時に、体の端々からすうと力が抜けて、私の視界は再び真っ白に閉ざされた。
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せいた(プロフ) - とても面白かったです!話せるようになった主人公が開き直る感じがすきですw続きが気になるますが完結どの事で残念ですが、お疲れ様でした! (2022年10月22日 2時) (レス) @page40 id: 4527c8b3f3 (このIDを非表示/違反報告)
イトカワ(プロフ) - みおさん» 嬉しいです〜読んでくださりありがとうございます!いつも終わりどころって迷いますよね… (2022年8月28日 0時) (レス) id: 02e548a085 (このIDを非表示/違反報告)
みお(プロフ) - お、終わりなんですか…?!この作品ほんとに大好きです!!まだ終わる予定は無いのでしたら(?)主様なりのペースで更新頑張ってください!!応援してます!! (2022年8月28日 0時) (レス) @page39 id: 98c132f21e (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:イトカワ | 作成日時:2022年8月18日 2時