雨 -6 ページ4
「それは、」俺も同じだと、言う代わりに抱きしめた。
「では、すぐにでも妻になってくれるか」
彼女の小さな後頭部に手を添える。香るはずのない藤の花の香りが、どこからか漂っているような気がした。
「……喜んで」
と、彼女は俺の肩口に顔をうずめたまま、くぐもった声で答えた。変わらず雨が激しく窓ガラスを打ち続けているが、そんなものは耳に入らなかった。ただただ彼女の震える肩がいとおしく、頸筋に触れるまつげとぬるい涙が心地よかった。
「そうと決まりましたら、煉獄様に、お暇をいただかなければ」
「俺が言う。煉獄なんかに会わなくていい」
この期に及んで出てくる煉獄の名前に、俺が不機嫌を隠さなかったのがおかしかったのか、彼女は涙できらきら光る瞳を細めて、さもおかしそうに笑った。笑い顔を隠すように口元に添えられた手をそっと掴んで、―――とみおかさま、と言おうとする彼女の唇に唇を重ねる。初めて触れる女の唇は、あるのかないのかわからないくらい、ふわふわと柔らかかった。
「いつまでも冨岡冨岡と呼ぶな」
「……義勇さんだって、わたくし、Aとお呼びくださいと言いましたわよね？」
「……A……Aさんは、意外と気が強いのだな」
「女学校出の女はこんなものですわよ、……あ、厭になってしまっても、もう遅うございますからね？」
「誰が厭になどなるものか」
俺はもう一度、彼女の体をぎゅうと、自分の中に押し込めるように抱きしめた。
「いつでも懐に入れて持ち歩きたいくらいだ」
「睦言が独特ですわね」
A―――さんは、小鳥のような声で笑う。そしてもう一度、俺たちはどちらともなく唇を重ねて、重ねて、重ねているうちに、つい、袂に襟に裾に、手が伸びる。ちょっと、とAさんが身をよじるが、今度こそ逃さないと抱え込む。また唇を重ねる。
結局、俺はこらえ性のない男だった。情けなく、やきもち焼きで、こらえ性もなく、言葉も足りない男だということが露わになってしまったけれど、Aさんがそんな俺でもいいというのだから、それでいい。
＊＊＊
雨がやんで、またどこからともなく藤の花の香りがただよう。俺と彼女を守るように、やさしくただよう。
きっとそれは、俺たちの願いの香りなのだ。ともに生きたいという俺たちの願いは、藤の花の香りをまとって、お互いを守るように、いつまでもやさしくただよう。
＊＊＊
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 525人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
Ｒ−アル−(プロフ) - 完結おめでとうございます！！ (2020年10月24日 12時) (
レス) id: 8b5171215e (このIDを非表示/違反報告)
やも - 更新待ってました！続き楽しみです！ (2020年8月3日 3時) (レス) id: f6237b150c (このIDを非表示/違反報告)
瑞姫(プロフ) - 黒死牟邸から来ました(語弊)面白すぎて一気読みしてしまいました、、、大好きです！ (2020年6月25日 0時) (レス) id: 445b4986a2 (このIDを非表示/違反報告)
やも - 続編嬉しいです！終わらないでほしい… (2020年6月12日 3時) (レス) id: ae8b2f43ae (このIDを非表示/違反報告)
きゅー(プロフ) - ぎゃん、、夜更かししててよかったです。私もこの作品がほんとに大好きです！！イトカワさんありがとうございます。 (2020年6月12日 2時) (レス) id: edb3b79442 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：イトカワ | 作成日時：2020年6月12日 2時
