8話 ページ29
「これは"影縫い"という術ですよ。もっとも、今の世界にこれを使えるのは私しかいないでしょうけれど」
影が浮かび上がっているだけで表情は見えないが、彼の声はやけに冷静だった。おそらく彼は澄ました顔で答えていることだろう。まるで「貴方達を殺すのに準備はいらない」とでも言うかのように。
「……その"影縫い"とやらは、古代魔術なのか？」
ゆらゆらと揺れる影に、アーサーは尋ねた。
「さあ、どうでしょうね」
キクはそれだけ言うと、また影を揺らす。
言い方からして、"影縫い"は古代魔術なのだろう。そして、それがどのような魔術かは明白だった。"影縫い"は、影を自在に操る術なのだ。
警戒するアーサーを他所に、アントーニョは挑発するかのようにキクに1歩近付く。そして好戦的な瞳で、影を見据えた。
「なあ、キクちゃん」
「はい」
影が揺れる。
「何で待ってるん？」
アーサーは驚いてアントーニョを見た。キクは動揺したのか、影が大きく揺らめく。
「……それはどういう意味です？」
「まんまや。さっさと俺等を殺さんのは、何でなん？」
また分かりやすく影が揺れた。ギリ、と屈辱感のある歯ぎしりがしたかと思えば、キクの影はみるみると無数の針状の黒い"何か"に変わっていく。
だがアントーニョの口角は上がっていた。
「なあ、キクちゃんの本気はその程度ちゃうやろ」
もはやキクの面影の残っていない影は、うねうねと壁いっぱいにまで広がっている。今にもアントーニョに襲いかかりそうであった。
「……本当はもう少し遊ぼうと思っていたのですが、そこまで言うのであれば致し方ありません」
どこにいるかも分からないキクが、潰れたランプの方から声を出した。うねり、と天井から垂れるように鋭い影の針がアントーニョへと向く。
「……逃げるで！」
アントーニョはそう叫ぶなり、アーサーの腕を掴み、引っ張った。不意打ちの動作に、アーサーがアントーニョに文句を訴える間もなく、彼は瞬時にアーサーを抱えて階段を飛び降りる。
「待ちなさい！」
キクの呼び声を無視し、アントーニョは全速力で走り始める。やっと理解が追いついたアーサーは、ハッと自分の状況に気が付いた。
「なっ、ななな、なんでお姫様抱っこなんだよばかぁぁあああ！」
「ちょ、暴れんとってアーサー！」
すぐ後ろに迫っている無数の影を避けながら、アントーニョはアーサーを抱く力をさらに強める。
「……っ」
ちらりと背後を見れば、そこにキクの姿はなかった。
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作者名：ほたてろいど | 作成日時：2016年12月3日 22時
