【ヒプノシスマイク短編集】惑溺

56.親愛なるまま(白膠木簓) ページ8

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「なーあ、おれなあ、Aちゃんがママやったらよかった」
「どうして？」
「ずうっとこうやっていっしょにおれるから」
「今もいるでしょ」
「あっ、ほんまや。おれ、Aちゃんの子供やから、もっと甘えさしてえな」

アハハと笑うAの顔を彼女の膝から見上げる。彼女は俺のことを何もわかっていない。頭を撫でてくれる手に自分の骨ばった手を重ねる。そこからとけて、ずっと離れなきゃいいのにと思う。冷え性だという指先は、もう冬の温度をしていた。
あと一時間で仕事に行く俺は、吐いてしまいそうになるのを必死にこらえながら、Aといっしょに笑った。淹れてくれた珈琲はもう、ぬるくなっている。
俺はこの時間を守るためなら人を殺したって、それは正義だと言える。でもAはまだ、完全なふたりきりで生きることを許してはくれない。こんな俺を生んだくせに。甘やかすくせに。白膠木簓というニンゲンをAは、所有物には加えたがらない。

「Aちゃん。すきやで。ほんまにだいすき」
ふいに体を起こしてキスをする。むなしく。虚構のように思えた。唇同士が離れるときの濡れた音が、なにもない俺たちの部屋にいやに響く。何回こうやっても、きっと届くことはない。俺はこんなにもAに依存している。

「…仕事行きたないなあ」
「だめだよ。いかなきゃ」
そんなことはわかってる。俺はいつだって誰よりもわかってるつもりだ。人間の正当性とは欲に生きることなんかじゃない。Aは俺の心がわからない。それと同じように、俺は人の心がわからない。
損壊/音色/霧散/恒常/想定/妄想/生命の死。Aのそれのすべてをつかまえたい。
幸福。
「Aちゃん。もっとくっついて」
そのやさしいあまい力だけで俺は死んでしまいたかった。正しいかたちをAは知ってる。灯がゆらゆらゆれるみたく、弱弱しい体温同士が、さもしく肩を寄せ合う。
俺は彼女がママならよかったといったがそれは全く、願望から裏打ちされた嘘だった。そしてそれを吐くのに罪悪を持たない。Aが俺の母親だったなら、俺はもうひとりの親を殺してしまう。本来人間が知らなくていい感情すら自分のものにしてしまう。
俺は頭がおかしい。だからいまだけはぎゅっとしといてな。 わるいことをしたなら叱って。
教育のような存在証明をしようか。恋とすら呼べないような悪の行為を、俺は、きっと懐胎とよぼう。

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