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隴西(ろうさい)李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)(みずか)(たの)むところ(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを(いさぎ)よしとしなかった。

 いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、かくりゃくに帰臥(きが)し、人と交じわりを絶って、ひたすら詩作に耽けった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に(のこ)そうとしたのである。

 しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は(ようや)焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃ころからその容貌(ようぼう)峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀いで、眼光のみ(いたずら)炯々(けいけい)として、(かつ)て進士に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の(おもかげ)は、何処(どこ)に求めようもない。

 数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙(しが)にもかけなかったその連中の下命をさねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何(いか)(きず)つけたかは、想像に難かたくない。

 彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい)の性は愈々いよいよ抑え難がたくなった。一年の後、公用で旅に出、汝水(じょすい)のほとりに宿った時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇やみの中へ駈出(かけだ)した。彼は二度と戻もどって来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

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作者名:中島敦 | 作成日時:2018年6月3日 20時

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