Phase.1 ページ3
男は困っていた。
兎に角困っていた。
書類とにらめっこをし、煙草を吸い、椅子から立ち上がって伸びをし、壁に貼られた数字の群れを見つめ、眉間を指で揉み、またすわり、死にかけた牛のようにうーんと呻き、また書類を睨んだ。
彼の目の前に、無意味な幾何学図形が浮かんでは消えた。
森「これは......どうにもならないねえ......」
適当に後ろに撫でつけた黒髪。着古した白衣。
端の破れたサンダル。首からは聴診器。
目の下には青い隈。
その男は、どう見ても医者だった。
ついでに付け加えるなら、そこは雑然とした場末の診療所だった。
聴診器、医療カルテ、本棚には専門書。
机の前の壁には、レントゲンフィルムを吊り下げて観察するための発光シャウカステンが設置されている。
いかにも医者の部屋に立つ、いかにも医者の男。
だが彼は医者ではなかったし、そこは医院ではなかった。
世界で最も病院からかけ離れた場所だった。
森「密輸銃の納入期限が2週間も過ぎてる。
これじゃあもうじき、部下は全員キッチンナイフで敵と戦う羽目になるよ。
それだけじゃない。市警が出動した暴力事件が今月だけでもう三件起きている。
末端構成員が制御しきれなくなっているのだね」
男は書類束を見ながら云った。
男の名は森鷗外。
強大な非合法組織・ポートマフィアを統べる首領であり___そして、つい一年前に首領の地位に就いたばかりの、新人指導者だった。
森「保護ビジネスの契約解除。他組織との抗争激化。縄張りの縮小。困ったねえ......。
首領になってから一年、問題が山盛りだ。
組織の頂点に立つのがこれほど大変とは......
ひょっとして向いていないのかなあ?
どう思う、太宰君。私の話、聞いてる?」
太宰「聞いてますん」
森「どっち?」
森鷗外の問いかけに答えたのは、傍らの医療用スツールに腰掛けた少年だった。
頭には黒い蓬髪、額には白い包帯。
大きすぎる黒背広を羽織った、痩せた小柄な少年。
太宰治____その齢、十五歳。
太宰「だって森さんの話、いつも退屈なんだもの!」
太宰は医療用薬品の瓶をもてあそびながら云った。
太宰「このところお経みたいに唱えてる。
お金がない、情報がない、部下からの信用がない。そんなの最初からわかっていたことだろうに」
森「そりゃそうなんだけどねえ......」
困ったように頭を掻いてから、ふと森は云った。
森「ところで太宰君。」
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