アリアドネの糸 (ページ5)

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「簡単に言わないでよ。今更、そうです、やっぱり私には十分なやる気がありませんでした〜なんて、言えると思ってる？」
「この世の全てがやる気でどうにか出来るわけ無いでしょ。やめたところで死ぬもんでもないんだから、十分頑張って、それで疲れてるならやめてみてもいいんじゃない。それは誰かが口出しできることじゃないよ。」

ふと呼吸がしやすくなった気がした。
まさかここで、彼の現実主義的なところに救われる時が来るとは。

「売れっ子芸人になる」なんて大きな理想を掲げ、燃え盛る情熱とともにその夢への第一歩を意気揚々と踏み出そうとしている私たちにとって、現実主義な彼に対してはどこか冷めたイメージを持っていた。
一言で言うなら「現実主義でいけ好かないやつ」。
そんな印象だった。

でも今はそんな彼の現実主義に助けられている。
そっか。辛い時には、逃げてみてもいいのか。
変なプライドに雁字搦めにされなくてもいいのか。それを誰かにとやかく言われる筋合いは無いのか。
ずっと私が必死に逃げ回っていたもやもやをいとも簡単に暴いてしまった彼の言葉はすっと自分の中に馴染んで、張り詰めた気持ちが少しづつ無くなっていく。

「そっか。頑張ったんだよね。私。」
「うん。それで壊れるくらいなら、やめたっていいと思う。」
「やめたって、誰も怒らないよね」
「少なくとも僕はなにも。」

寂しくなるなとは、思うけどね。
と彼は零した。

その後、私は表舞台に立つことを辞め、中野に誘われて彼らのライブの裏方をすることが増えた。その中で経験したことを生かし、今は作家として活動している。これも1つ、彼のおかげだ。

袖から舞台を見ていると、ふとあの頃のことを思い出す。
人の熱気と照明の熱で完全に温度の上がりきったそこは、昔の私には大きなオーブンのように思えて、そこに引きずり出される私はまるで喰われる前に最後の仕上げをされる獲物のよう。

その中で苦しみから逃れようともがく私に手を差し伸べて来たのは思いもよらない中野で。
そう。最初のいけ好かないやつ、という印象は何処へやら、中野は私にとっての救世主のような存在となったのである。

その地獄にさした一筋の光に、私の持たないものを持つ彼に、惹かれない理由は無かった。
そして、それは今も変わってはいない。

今日もスポットライトは彼を照らす。
それはまるで、あの日の私を救い出した一筋の光のように眩しく。

救世主/nkl