白椿【ars/S.S】 (ページ40)

今日:3 hit、昨日:2 hit、合計:98,480 hit

40 ページ40

近づいてくるその人をじっと見つめていたら、俺の視線に気付いたのか、顔を向けた。

「えっ……？」

彼女の顔を見た瞬間、全身が身震いし、心臓が早鐘を打った。

すれ違うその時、女性から放たれた香りが夜風に乗って俺の鼻をかすめたら

漏れた呼吸まで震えていた。

その香りに思わず目頭が熱くなる。

ここで早く引き留めないと……この瞬間はこの先二度と訪れない。

なのに体を動かそうとしても動かず

声を掛けようとしても、声が出ない。

けど、この瞬間を絶対に逃したくない。

「あのっ……！」

必死に出した俺の声は掠れて、思ったよりずっと小さかった。

届いたかどうかわからなかったから、固まっている身体をぎこちなく動かして振り向くと

『はい……？』

そんな声でも聞こえたようで、俺の方を向いていて、彼女も小さな声で聞いてきた。

「あっ……えっと……」

届いて良かったと安心したのも束の間、何から話せば良いのかわからなかった。

10年分の想いが溢れ出て、思考回路が停止寸前だ。

『観光客の方ですか？道に迷いましたか？』

何も言えなくて見つめるだけの俺に、彼女の心地よい落ち着いた声が鼓膜を震わせる。

「A……？久しぶり、だね？」

やっぱり震えた声しか出なかった。

10年待ち望んでいた瞬間が、たまたま訪れたこの異国の地で叶うなんて……。

そして久しぶりに呼んだ忘れられなかった彼女の名前が、とても愛おしかった。

『えっ……翔、さん？翔さんなの？』

この状況に信じられないという表情で、何度も俺の名前を呼んで近づいてきた。

「そうだよ……。元気にしてた？」

『本当に翔さんなの？え、どうしてこんなところにいるの？嵐辞めたの？』

「旅行で……久しぶりに休みが取れて……で、カンボジアに来て……何回か来てるんだけど……嵐は辞めてない」

矢継ぎ早にされる質問にしどろもどろに答える俺を

Aが心配そうに顔を覗き込んで来る。

『そう……。元気そうで良かった。辞めてないよね(笑)冗談。よく知らないけど、嵐って日本ですっごい人気なんでしょ？ともちゃんに聞いたことある』

ものすごく他人事のようにAの言葉が聞こえて

会えて感無量で夢見たいだったのに、一気に現実を叩きつけられた。

知らない

聞いたことある

って、俺に興味ないってことだろ？

しかも俺はすぐに気付いたのに、Aは俺に気付かなかった。