月華繚乱【浦島坂田船】

汚れ ページ32

その後、何事もなかったかのように『安静にしていて下さいね』と言って出ていった黄百合の背を見送り、溜息を吐く。



「誰が好きか、ね…」



誰も恋愛対象として見ていない。
否、誰も恋愛対象として見てはいけない(・・・・・・・)。
そもそも、彼等と結婚したいとは思わないが、恋愛対象として見ようとすること自体したことがなかった。
なのに、抱え切れない程の愛情をくれるもんだから、どうしていいのか分からなくなる。



「あ。お風呂入ってないや…。」



随分と唐突に気が付いたのだが、一度自覚してしまうと、段々と身体が不快感に襲われる。
絶対安静と言われたが、やっぱり人間だもの。
お風呂は入りたい。
思い立ったら即行動。
黄百合に見つかる前にささっと入ってしまおう。

大浴場へと繋がる廊下を小走りで通り抜ける。
華月(うち)の浴場は特殊で、主力の4人＋私の浴場が1つと、その他の花魁用に1つ、禿用(男女)に2つで、浴場だけで計4つもあるのだ。
数だけでも異常なのに、何故私だけが主力の4人と、ましてや男と同じ浴場なのか。
本格的に相手をこの中から探せと言いたいのだろうが、風呂くらい落ち着いて入らせてくれ。

一息吐く間もなく、寝間着に手を掛けようとして手が止まった。



「ｯ…」



やはり誰かいる。
それも何かに耐えているような声がする。
時間をずらした方がよいかと、暖簾をくぐり掛けて止まる。

つくづく、私はこういうのが放って置けない質らしい。



「誰かいらっしゃるのですか？」

「……A。」



一拍遅れて返事がくる。
声色的に、赤桜だ。
全く、今度は何をやらかしてくれたのだ。









この時の私は、この扉の向こうで一大事が起きているなんて気付かずに、そんな呑気な事を考えていたのだった。

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