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彼は何も言わず、
ただただわたしの背中をさすり、
力の篭る手を同じだけの力で握り返す。
きっと何を言ったらいいかわからなくなっているのだろう。
だけどそれが、今の自分には心地が良かった。
何も言ってくれなくて良いし、特別なことはしてくれなくて良い。
ただそばにいてくれるだけでよかった。
ここまで来るとすでにもうグジグジ言っている場合ではなくて、
迫り来る何かに必死に耐えるだけ。
「 」
卓の声が微かに聴こえたけれど、
その声がどんな言葉を紡いでいたのかはわたしの耳には届かなかった。
聞き返すことも出来ず、次の波へ向かってただ息を整える。
「中島さーん どう?いきみたい感じかい?そろそろちょっと見てみようか」
これで三度目の経過観察。
卓の手が一度離れる。
それまでずっと閉じていた目を開いてみて、
光を受け止めようとする瞳がとらえた彼の顔は、
困っていて苦しそうで優しくて幸せそうで温かくて、
今まで見てきた中でいちばんいろんな感情がぐちゃぐちゃになってしまっているような、そんな表情だった。
なんて顔してるんだ、と彼はよくわたしに言うけれど、
それをそっくりそのまま返したい気分だ。
「かなり開いてきてるね、移動しようかね。さぁいよいよだよ〜」
穏やかで威勢の良い先生の声に、卓の肩が少しだけ揺れた。
とてもじゃないけれど別室まで歩けるような調子ではなく
てきぱきと車椅子に乗せられるわたしを見て、眉を八の字に下げた彼の手が伸びてくる。
「…Aっ、…もうすぐやけん、大丈夫、…」
それはおそらく、彼が、必死にしぼりだしたであろう言葉だった。
そして震えながらわたしの耳へと届いたその言葉は、
今までもらったどんな言葉よりも驚くほど勇気を与えてくれるものだった。
ほんの一瞬、本当にほんの一瞬だけ、
フッと痛みがなくなった気がしたのは気のせいではないと思う。
彼の声と、
「もうすぐだよ」「大丈夫だよ」という想いが、
グンッとわたしの背中を押したのだった。
そうだ、もうすぐだ、大丈夫だ。
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作者名:まいち | 作成日時:2017年9月15日 3時