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「まーた ひま ひま言ってんの」
地方遠征から、まさについ先程帰ってきた卓が、スーツ姿のままで現れる。
「あ…おかえり」
「ただいま。…は〜。つかれた」
「うん、おつかれさま」
ベッドの横に腰掛けた彼は、
切りそびれてしまったわたしの伸びた前髪を掻き分けながら笑った。
ああ気持ち良いな…きっと娘に会えるときまで、
いやもっと それからも落ち着くまでは、
当分美容室なんて行けそうになく残念に思っていたところだったけれど、
優しく撫でてくれる彼のこの手があれば、
このだらしなく伸びた前髪と付き合っていくのも悪くないかな なんて
ぼんやり思った。
「どうなん 調子は」
お腹が張って苦しかったり、
痛みがあったり、
まったくなにも感じない時もあったり、
身体の中の変化はめまぐるしくいそがしい。
今日は比較的調子が良いほうで、笑顔で彼の質問に応える。
お腹の中のちいさな彼女はというと、
先生の話が正しいものであればもうこの世で生きていくための準備は大体整っているらしい。
ちゃんと自分で息をして、
笑えて泣けたらそれで十分 なんて、
今はとにかくそう思っている。
欲張りだろうか。
わたしの身体が、
ちいさな彼女が通るための道を次に大きく開いたときは、
止めないでそのままもう踏ん張りどころだね、と先生は言う。
それはつまり、つまりそういうことなのだ。
時は、確実に、着実に迫っていた。
卓は、出来ることならばその瞬間に立ち会いたいと以前から思っていたらしい。
ただ、今はまだシーズン中。
彼は、こちらにいないことのほうが多いと言っても過言ではないわけで。
こればっかりは運だ…なんて話もした。
わたしも出来ることならば立ち会ってほしいと思っていたが、
それはそれは想像を絶する現象なので、
自分がその時どんな状態でいられるのか、まったく見当がつかない。
「…なんか。…もうすぐだなあ」
「ん?」
「あえるんだね、って。なんか、やっと」
「なに。緊張してる?」
緊張していないと言えば嘘になるけれど、
やっとここまで来れた、という気持ちがただただ大きかった。
本当に何事もなくお腹の中でゆっくりして、
すんなり出てきてくれるものだとずっと思っていたから、
余計にいまもまだ呼吸してくれていることにひたすら感謝する。
もうすぐわたしは本当のおかあさんになって、卓は本当のおとうさんになるんだ。
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ななせ - コメント失礼します!とても面白いです!!中島選手大好きなんで更新いつも楽しみにしています。これからも頑張ってください! (2017年9月8日 22時) (レス) id: 884c868c1e (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:まいち | 作成日時:2017年8月11日 10時