No.188 ページ18
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……七月も第二週に入り、少しずつ部員の気持ちも高まっていくのが音から読み取れた。
エアコンの効いた音楽室で、演奏の合間合間に額の汗をタオルで拭き取る者も増えてきたような気がする。
それだけ本気で吹いているということだ。
美江はそんな中、自分が遅れをとるものかと迫り来るソロパートに心臓をどくどくと鳴らした。
立ち上がる。
…まるで静かな水辺の水面下で、夜明けを知らせるように、誇張はせず、ただ秒針が進むように……
美江は息を吹き込んだ。
クラリネットの音が響く。
今日こそ上手くいく。なぜなら、家でも学校でも、ずっと練習していたのだから。
美江は緊迫感と自信を半々に持ちながら震える指で一生懸命吹いた。
ようやく終わりが見えてきた。美江は最後の一息を楽器に吹き込もうとした。
「ちょっと、え?」
その時だった。
修也が指揮棒をビュン!とピアノの方へ向けた。
中村が「あ…」と小さくこぼした。
「どういうつもり?どこ弾いてるの?」と修也は腕を組んで弟を責める。
「紫苑はピアノなんだから間違えちゃダメでしょ?」
中村は黙ったまま楽譜を見直した。
「ねえ」
「しゅ、修也さん…」と、小さく恵林が声をかける。
「間違えない人なんて、いないと思います……
しーくんも人間だし…」
「紫苑は間違えないよ」と修也は恵林に笑いかけた。
「ね、紫苑。」
誰一人喋らない静かな部室で、カチンカチンとメトロノームだけが規則正しく鳴り続けている。
中村は深く深呼吸をすると、パタンと楽譜を閉じた。
「紫苑?」と修也が子供を呼ぶ親のような声で呼びかける。
「…今日は調子悪いから、一人で練習する。」
中村は一言そう言って無理やり微笑むと、「ありがとう、恵林」とお礼をして部室から出ていった。
「あ〜あ、行っちゃった。」
修也は目を細めて中村が消えた先を眺めた。
一人、納得いかない様子で座り込んだ少女が俯いてまた爪をいじり出す……美江だ。
美江のソロ演奏は上手くいっていたはずなのに中村のせいで最後まで吹ききれなかった。
けれど中村を責めようとも思えない。中村は悪くない。
だが、やはり中村は許せない。
許せないが怒ってはいない。
この気持ちはなんなのだ。
美江はぐるぐると渦巻く腹の中でただ一つ、彼と仲の良かった昨日までのことを懐かしんだ。
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作者名:えりんぎ※息を吸う | 作成日時:2022年4月14日 17時