陸 ページ42
「此れは…一体どういう事だい?」
わなわな、と言った表現が正しいのだろう。治は只、身体を震わせるだけで、何も言わなかった。私はもう弁明する機会は其処しかないと思い、痣が付くまでに至った経緯を全て話した。
温度のない瞳が私を貫いていた。
やっと開いた彼の口から出た声には、哀しみが滲み出ていた。
「それで?君は出来の悪い“元弟子”の為に一肌脱いだってワケだ!
…私が今まで、どんな気持ちでいたのかも知らずに」
治の瞳が水を張っていたのを、私は見た。
それだけで、私は彼の気持ちを汲み取った気になってしまっていた。
「…御免なさい、言いつけを破った事も自分の身を危険に晒した事も謝るわ。
でも、それでも芥川君は見捨てられなかった。だって彼は私達の大切な
その事だけは、許してほしいの」
暗に、『私以外の命がどうなろうが知ったこっちゃないと言うのは止めて』と、言っていた。
それがわからない彼ではあるまい。
彼は納得し難いという態度だったが、最終的には溜息を吐いて許してくれた。
「どうも君は待っている事が苦手な犬のようだね。鳥籠だって嘴で破壊して逃げてしまいそうな勢いだ」
「良かったじゃない。犬は嫌いなんでしょう?」
「まあね。君が蟹になって私を誘惑する夢なら何度も見るのだけれど」
「若しかしてその蟹、食べてる訳じゃないわよね?」
「A、知ってるかい?一番純粋な愛は、“食べたいと思う物に対しての欲望”なんだって」
フフフ、と笑う彼は先程見せた虚な彼とはまた違うベクトル上にいて怖い。
一層の事諦めた方がいい。彼の愛情から逃げるなど、不可能なのだ。
「私の好きな本の一冊の内にね、こんな言葉が記してあるの。
“ぼくはもう何度も、彼女を食べる夢を見た。あまり火を通さない、生焼けのうちがいい。彼女は従順で、肉になっても微笑を絶やさず、仔牛と野鳥の中間のような味がして、なんとも言えずいとおしい。彼女に対する情感が、煮詰められて、けっきょく食欲に収斂してしまうらしいのだ”…って」
安部公房の『箱男』から抜粋する。
「へぇ、君は私を食べる夢を見た事があるのかい?」
「残念だけど」私は首を横で振った。
治は私の手を取り、他のどんな女性にも見せない、飛び切り優しい笑顔を私に向けていた。
「なら、今夜見せてあげなくてはね」
私も嘘偽りのない笑みを、彼に返した。
第十二章 絶え間なく過去へ押し戻されながら (前編) 壱→←伍
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有原霊花(プロフ) - とある病、等の表現は出来ないのでしょうか?後からターナーの症状が物語に影響するのなら納得いきますが… (2019年8月5日 7時) (レス) id: 70a887fc81 (このIDを非表示/違反報告)
サラ(プロフ) - 有原霊花さん» 大変失礼いたしました。しかしこれはキャラクターの設定の一つである事を理解していただきたく思っております。 (2019年8月5日 3時) (レス) id: 4e09bde857 (このIDを非表示/違反報告)
有原霊花(プロフ) - 私はターナーにかかっているものです。そう易々と病名をネタに使われるのは不快なので、やめてほしいです。 (2019年8月5日 0時) (レス) id: 5869a0a1cd (このIDを非表示/違反報告)
由紀(プロフ) - 雪菓さん» すみません、いきなりなんですけど黒の時代の太宰さんのタイプの女性が「何も聞かない女性」とwiki先生が言っていたんですけど、もしかしてそれを意識して書いているんですか? (2017年11月23日 21時) (レス) id: d1693c1caf (このIDを非表示/違反報告)
雪菓(プロフ) - サラさん» わわわ、続編あったのですね、、、!!早とちりしてしまいました笑続編も楽しみにしています!! (2017年7月31日 15時) (レス) id: a8c1e7bbe3 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:サラ | 作成日時:2017年7月27日 17時