序 ページ1
最初に気づいたのは、鼻を突くような異臭だった。
「……おかあさん……？」
ツンとした酸っぱい臭いに足が止まる。幼い声に返ってくる返事は無い。
薄暗い廊下の中、黒いランドセルを背負った子供が恐る恐るリビングに続くドアへと手をかけ、そっとドアを押し開いた。
鉄の香り。赤黒い液体。湿った肉片。それらが散乱する部屋は、見るも無惨なものだった。
ドアの先に広がる景色に、子供は落としそうな程見開いた目を動かす。部屋の中に母親の姿は無く、代わりに異臭を放つ得体の知れない物体が放置されていた。
子供にこの光景を理解出来る筈が無い。否、理解出来ても何も出来ないだろう。
出来る事と言ったら、
肉片から伸びる白い手は女性のものだ。辛うじて形を保っているその手の元に子供はフラフラと近づくと、震える手で冷たくなったその手を握った。
青白い腕は子供の握る一本を除いて全てあらぬ方向へ捻じ曲げられ、胴体は骨が露出する程グチャグチャにされている。
柔らかな肉と血濡れた白い骨が見える様は、大人でも目を背けたくなるものだ。
子供は凄惨な部屋の中で泣き続ける。「おかあさん」と返りもしない返事を求め、泣き続ける。
カラン、と乾いた音がした。
音のした方を子供が見ると、其処には寄木細工の小さな箱が転がっていた。
複数の仕掛けが施された小さな木の箱。子供はその箱を視界に収めた瞬間、フラリとその場から立ち上がり、箱の元へと歩いていく。
天井も、壁も、床も、何もかもが血で染まった赤い部屋。
その中で一人、子供は床に転がっているその箱を拾い上げる。血が付くのも厭わずに床に座り込み、箱の仕掛けを解きにかかった。
何故かは分からない。ただ子供は、この箱を開けなければならないと強く思った。
カチ、カチ、と部品が外れていく。先程まで母親の死で悲しんでいた顔は一転し、真剣な表情で箱の仕掛けを解いていく。
その様子はまるで、この部屋の惨状など視界に入っていないようだった。
いつの間にか、外には曇天が広がっていく。薄暗い室内が更に暗くなっていく。
その闇の中を、"何か"が泳ぎだした。
カチン、部品が外れる。
大きな影が窓の外を通り過ぎた。
カチン、もう一つ部品が外れる。
ペタ、ペタ、と何かが部屋の中を歩き回る足音がする。
カチン、残りの部品はあと一つ。
不気味で大きな気配が、部屋の中を支配する。
カチャン
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作者名：九龍 -くーろん- | 作成日時：2021年1月12日 16時
