13、匂いと記憶 ページ13
「お前が初めてポアロに来た日……声を聞いた瞬間にAだと気がついて。すぐに名前を呼びたかった」
「…零さん」
床に寝転んでいる私をじっと見下ろす彼の頬に、手を伸ばして触れる。サラリと落ちた明るい色の髪が、部屋の明かりに照らされて息を飲むほど綺麗だった。
だから…そんな悲しい顔、しないでいいのに。
「こんなの信じられないだろうけど。冷たくして、1度俺から遠ざけて……今の仕事が落ち着いた後にお前の様子を見に行こうと思ってた」
「っ、」
零さんが、嘘なんか言わないこと……知ってる。
何年離れてても…私を気にかけてくれていたこと。嬉しくて、でも何故か胸がキュッと締め付けられるように痛くて。
頬を撫でていた手首を緩く掴んだ彼は、不意に背中に腕を回して私を抱き起こした。
零さんと距離が近くて、よく知っている貴方の匂いがして……頭がクラクラしそう。
人の記憶。最後まで忘れないのは、『匂い』って言うけれど。本当にそうなんだな…って、思うよ。
そっと閉じた瞼の裏に浮かぶのは、彼が警察学校へ入る少し前。泣いて悲しむ中学生の私を優しく抱きしめて『行ってくるよ』とつぶやいた、今より少しだけ幼い貴方の姿。
「距離を置くつもりだったのに、お前が毎日ポアロに通い続けるから…」
「ウッ……」
「途中から態度を戻すのも不自然だし、どうしようかだいぶ迷ったんだ。本名をバラされるんじゃないか内心ヒヤヒヤしたし……ホントにAには振り回されっぱなしで…」
「ス、スミマセン。返す言葉もありません…ハイ」
ため息混じりで私の愚行を話す彼。どうやら、知らず知らずのうちにだいぶ迷惑をかけていたようで。
泣きそうな顔をしていたら、突然びよんと頬を伸ばされてジタバタすると彼は声を出して笑った。
……よかった、怒ってはいないらしい。
「もう途中から諦めて、お前がカマをかけて来るまで待とうと思ったんだ。……思ったより遅かったがな」
「ふーん、わたしはどうせぽんこつですよ〜」
べーっと舌を出して顔をぷいっと逸らせば、目の前から可笑しそうに笑う声が聞こえた。
……勉強みたいに考えればキッチリ答えが出ること以外、悩むのは人より苦手なんだ。私は。
「でも、まさか……」
「?零さん?」
頬にかかった私の長い髪をそっと後ろへ梳きながら、耳元に唇を近づけた彼。逃げる暇もなく、囁かれた言葉に心臓がドクンと跳ねた。
『 " 俺の影響で " 警察を目指してるとは思わなかった』。
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作者名:re | 作成日時:2021年1月27日 18時