虚月が浮かぶ【悲系/AN,AS】《完結》 (ページ2)

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「で、ボクは現世(うつしよ)と冥界の渡し守」

ちゃぷん、と櫂をもう一掻きした渡し守はそっと、彼に手を差し伸べる。

「ここに漂う死者を捜し、渡し賃があれば今すぐ冥界へ連れていく。なければここで200年間待ってもらう。そして舟は死者に漕がせる。
……これが渡し守の仕事」

渡し守の台詞に、感情の類は一切無い。

「それで、渡し賃はあるの？」

彼はハッとし、慌てて探すがそのようなモノは無かった。
しかし渡し守はあらかじめそのことを知っていたらしく、笑顔で話し出す。

「やっぱり、無かったね。
安心して。君はまだアッチへ逝けないんだ。
まだソノトキじゃない。偶然この世界に迷い込んだだけ」

差し伸べられた手が彼の腕を掴む。
その小さな手は恐ろしい程冷たいのに、何故か温もりがあった――。

「現世へ戻ろう。
大丈夫。君に舟を漕がせたりしないから」

されるがまま、彼は小さな木舟に乗り込んだ。
渡し守がそのことを確認した後(のち)、ゆっくりと櫂を動かし出した。
ちゃぷん、ちゃぷんと心地良い水音が暗闇に響く。

「あの……渡し守さんは何時もここに居るの？」
「そうだよ。ずっと、ずっと……。何千年も、何万年も前からずっと――」

「退屈じゃない？何にも無い、誰も居ない暗闇の世界って……」

「……少し誤解しているね。
確かに退屈だけど、ここは黒一色の世界じゃないし、仲間だっている」
「仲間？」

「冥界の守り人(もりびと)って言えば解り易いかな？
今からその人のところへいって、その人に現世まで連れて行ってもらう。
ボクは飽く迄も渡し守。
現世の中にはいけないんだ……」

「そっか……」

(冥界の守り人ってどんな人なんだろう？)
冥界の番犬は三つ頭の巨大な犬――ケルベロスだという話は有名だ。
だけど渡し守は“冥界の守り人”と言った。
(ケルベロスみたいに怖い人じゃなければいいけど)

不安を抱えたまま、彼と渡し守を乗せた舟は進み続ける。灯火以外、光など皆無なこの世界は、恐ろしい程の静寂に包まれている。

「そんなに不安？」

彼の心でも読み取ったのか、前を向いたまま渡し守は話し掛ける。

「えっ……うん、少しだけ」
「大丈夫だって。あの人は笑わないけど怒りもしない。
……言い換えれば、感情が殆ど無いってことだけど」

渡し守は、暫くの間をあけて再び口を開く。

「ここに居る人は皆感情ってものが無いんだ。
多分ここまで喜怒哀楽があるのはボクくらい――」