. ページ50
.
そういえば、どこかで覚えのあったピアノの音色は実際に作間くんが私の前で弾いてくれていたものなのだと知った。
着任したての頃、あの頃は教師の仕事の全てが無理で授業の合間によくトイレで嘔吐していたからきっとその時だろう。
毎日必死でぎりぎりで、記憶もほとんど朧気だけれどそのメロディは私の鼓膜に薄く残っていた。
「私、あなたのピアノ聴くと癒されるよ」
脈絡もなくそう言えば、
「…、そっか」
作間くんの表情が柔らかく綻び、嬉しそうに微笑んだ。
それからまた、「そっかぁ」と小さく呟いて。
心から、嬉しそうに。
その微笑みに、どうしてだろう。
胸を締め付けられた。
心の一部を指先で摘ままれるような不思議な感覚。
可愛い、と思ってしまった。
自分でもよく分からなくて、ぱっと視線を逸らせばいつの間にか外の天候も変わっている。
「っ、ねぇ外、もう止んでるね…！戻ろう、」
突然、今この空間が耐えられなくなって、慌ててそう言って。
立ち上がろうとした拍子、痛めた足でバランスがとれずに転びそうになった。
転ばなかったのは咄嗟に作間くんに体を支えられたからだ。どこまでも間抜けだ。
「……すみません」
「いいえ」と返して作間くんは笑う。呆れたように、でも変わらず嬉しそうだった。
それから私の前に回り、しゃがみこむ。
さすがにそれはと躊躇い、何度断っても聞いてはくれなくて、戸惑いながらも差し出された広い背中に抱き着いた。
「難しいんだったら、たくさん言います。Aさんが信じざるをえないくらい、たくさん」
山道を降りる途中、作間くんは言った。
「好きです」
背中におぶられて、至近距離で聞かされるその言葉には、どうにも「はい」と小さく一言返事をするのだけで精いっぱいだった。
それから、作間くんの話を聞いて納得がいったことが他にもあった。
あの夜なぜ、自分が作間くんを求めたのか。
何が引き金になったのか。
やっぱり加害者は私で、作間くんは被害者で。
『信じる』とそう答えたのにはその罪滅ぼしのような気持ちも少なからず胸の内にあった。
本物の”好き”を知らない。
知っているのは、歪んだ愛情だけ。
＊＊＊
３へ移行しています。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 1909人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
よぴ(プロフ) - パスワード教えていただきたいです（ ; ; ） (2022年1月17日 19時) (
レス) id: 5c59f9ee59 (このIDを非表示/違反報告)
いち - パスワード教えてください⁉️ (2021年9月28日 13時) (レス) id: 358f9d64ec (このIDを非表示/違反報告)
さな(プロフ) - こむぎさんの作品いつも楽しく読ませていただいています。この作品を最初から読みたいのですがパスワードを教えていただくことはできますか？ (2021年5月5日 2時) (レス) id: 3b72a96203 (このIDを非表示/違反報告)
りの(プロフ) - どの作品も大好きです！いつもキュンキュンしながら読ませて頂いています。これからも楽しみにしています。 (2020年5月3日 21時) (レス) id: e6fd1d12b5 (このIDを非表示/違反報告)
陽依(プロフ) - 切なくて切なくて、涙が出てきました。このお話大好きです。これからも楽しみにしています。 (2020年5月3日 19時) (レス) id: 5f72745e3d (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：こむぎ
| 作成日時：2019年7月21日 14時
